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ポント王ミトリダーテ・・Rokokotheater Schwetzingen・・2016/7/23 [オペラ]

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Musikalische Leitung: Rubén Dubrovsky
Inszenierung: Nicolas Brieger

Mitridate: Mirko Roschkowski
Aspasia: Astrid Kessler
Sifare : Mary-Ellen Nesi
Farnace: Clint van der Linde
Arbate: Antonio Giovannini
Ismene: Vera-Lotte Böcker
Marzio: Daniel Jenz

Orchester des Nationaltheaters Mannheim

 2度目のシュヴェツィンゲンのロココ劇場。ここでは年3回フェストがあり、春はSWR,夏はマンハイム歌劇場、冬はハイデルベルク劇場の主催です。

 夏はモーツァルト・サマーと銘打っての公演ですが、オケはマンハイム歌劇場のオケで古楽オケではありません。
 ドロットニングホルムで聴いた公演は古楽オケで歌手の歌も様式美に溢れ、バロックを印象づけるものでしたが、今回は歌にアジリタなどの技術を残しながらも演劇性に重きを置いたもので、演技にも歌にも感情を激しく表現する場面が多々ありました。歌手の配役も異なり、ドロットニングホルムではアスパージア、シーファレ、イズメーレ、アルバーテがソプラノ、ファルナーチェがCT,ミトリダーテとマルツィオがテノールでしたが、今回はシーファレはメゾ、アルバーテはCTでした。オリジナルはシーファレもアルバーテもソプラノのようですから、メゾ、CTでも高音を出せる人でないと難しいのではないでしょうか。

 演劇性重視といった面があったためか、アスパージア役とイズメーレ役の人は時にヒステリックと感じるような高音を出す場面もあったのですが、シーファレ役のネシはもともと古楽系の人でメゾということもあって激しく歌う場面があっても過度になりすぎず、聴いていて心地よく耳に残りました。
タイトルロールのテノールの人が荒々しさがありながらも実に良い声の持ち主でしたが、後半になって高音が2,3か所決まらなくなってしまったのが惜しいところ。ただし、ハイCもある難役ということを考えれば十二分に存在感のあるタイトルロールでした。ファルナーチェ役の人が体調が万全でなかったのか、途中舞台で吐いてしまって大丈夫かと心配したのですが、その一瞬だけで、歌も演技も全力投球で立派に最後まで勤め上げてプロ根性を見せてました。


 この劇場は舞台の模型が展示されているのですが、模型ではかなり奥行があるのに、冬の公演でもこの夏の前半もそれほど奥行がなく、修復でもしているのかと思っていたところ、後半になってその奥行を活かした演出となり、奥で火を燃やしているかのような迫力は見ごたえがあるものでした。

 この劇場のサイズには古楽オケでバロックのほうが合うという気はしましたが、歌手陣の熱演が好印象として残った公演でした。

 今回は昼頃にはシュヴェツィンゲンに到着したので、冬に来たときに修復中だった城内の見学ができるかと思ったのですが、残念ながらまだ修復は終わってませんでした。

イル・トロヴァトーレ・・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER・・・2016/7/8 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Philipp Stölzl

GRAF LUNA Simone Piazzola
LEONORA Anna Netrebko
MANRICO Yusif Eyvazov
AZUCENA Dolora Zajick
FERRANDO Adrian Sâmpetrean
INEZ Anna Lapkovskaja
RUIZ Florian Hoffmann
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 このところネトレプコの追っかけと化しているかもしれない[猫]です。
 昨年の新制作であるシュトルツルの『イル・トロヴァトーレ』ですが、ヴィデオクリップを見るとこれがなんとも面白そうでどうしても観たくなってしまったのでした。

 開演時間になって係りの人が舞台に登場。開口一番、キャストチェンジではありませんのでご安心ください。これには観客から笑いがもれましたが、安堵もあって当然の反応。技術的な問題があるとのことでしたが、再演とはいえ3回公演の初日、以前『ファウスト』でもありましたが、再演の初日は要注意。仮の劇場で行う困難が露呈するようで、おそらくスタッフの人たちも早くリンデンに戻れることを心待ちにしているるに違いありません 。

 序曲冒頭・・・打楽器・・・上手すぎるゾクゾク感・・・・管楽器・・・・これまた上手すぎるワクワク感。この話、そこまで上手くなくてもよいの、肝心なのは大衆的ドンチャカ感。そう思いながら聴き始めたものの,肝心のドンチャカ感もアンビルコーラスでチンドン屋のような鳴り物を思い切り鳴らしてバッチリ。
 ただアリアの後の拍手の後に微妙な間合いがあることがあり、一瞬バレンボイム先生の具合でも悪いのかとも心配になったのですが、おそらくは冒頭でアナウンスがあった技術的な問題を確認しながら進行しなくてはいけない状況だったのではないかと?

 演出は人形劇風。夜な夜なおもちゃ箱の中ではこんな大変なことが起こっているのですヨ。といった趣向にも見えて、子供に聞かせる怖い話風仕立てです。これがネトレプコやザジックといった大見得を切れる人たちが歌うと人形にみるみる熱き血潮がみなぎり、情念が溢れるのが醍醐味。
 もともとネトレプコはコメディのほうがおおらかで伸び伸びとした魅力があって良いと思ってましたが、この演出では軽いコミカルな愛らしさから重い情念まで、ネトレプコの魅力を最大限に楽しめる、正にネトレプコのための演出といったところ。
 アズチェーナの髪が赤茶でボワボワ、マンリーコの服装が全身茶色ということで、この二人が並んでいると見た目はまるでタヌキの親子であるにもかかわらず、2幕の昔話の場面ではザジックのおぞましい凄みにゾクゾク。
 ザジックの歌い方が低音で声質が変わるのが少々気になったのですが、低音が出にくくなってしまったゆえか?わざと凄みをだすために声質を変えてるのか?いずれにしてもゾクゾクさせられたのはベテランの上手さと納得。
 タイトルロールのエイヴァゾフはひたすら威勢の良さで勝負。聴かせどころの『見よ、恐ろしい炎を』は強烈な浜口方式。気合いだ!気合いだ!気合いだ!派手な恰好をしたコーラスと相まって、その威勢の良さには近くに座っていた人が思わずホッと溜息のような感嘆が漏れるほど。
 ルーナ伯爵役の人はイタリアでは既に幅広く活躍している人のようですが、見るからに若い感じの人で、慣れてないであろうドイツで、ネトレプコのようなスターとの共演は初めてではないかなといった様子。まして初演時にはドミンゴさまという大御所が歌ったのですから、その後を引き継ぐとあっては緊張しないわけはなかろうという状況であります。ネトレプコやザジックのような大見得を切れる人とつりあうようにゆっくりと歌う場面もありましたが、これからの人という印象でした。
 女性陣に比べてしまうと男性陣が物足りなさを感じてしまうのは致し方なしではあります。
 フェルランド役の人はザルツでも同役を歌っていた人ですが、脇役とはいえ歌はしっかり、舞台センスも良い感じで好演してました。

 ベルリンのトロヴァトーレは6月に観た軽量級のDOBの公演も面白かったですが、シラーの重量級のトロヴァトーレも面白くて満足でした。


トゥーランドット・・Bayerische Staatsoper・・2016/7/7 [オペラ]

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 9月8日のヨハン・ボータ氏の突然の訃報に喪失感と悲しみに襲われたのは言うまでもありません。
 聴いた役はラダメス、ローエングリン、ジークムント、影のない女の皇帝、そしてこのカラフ。何を歌っても素晴らしい人でした。この公演はフェストの2回公演の初日でしたが、オペラの出演はこの『トゥーランドット』が最後だったのかもしれません。実に立派な舞台でした。

 ご冥福をお祈りいたします。
 合掌

 以下の感想は8月頃書いたものです。

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Musikalische Leitung Asher Fisch
Inszenierung Carlus Padrissa - La Fura dels Baus

La principessa Turandot Nina Stemme
L'imperatore Altoum Ulrich Reß
Timur, Re tartaro spodestato Goran Jurić
Il principe ignoto (Calaf) Johan Botha
Liù Irina Lungu
Ping Andrea Borghini
Pang Kevin Conners
Pong Matthew Grills
Un mandarino Bálint Szabó
Il principe di Persia Thorsten Scharnke
Kinderchor  Kinderchor der Bayerischen Staatsoper
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 客席に入ろうとすると係りの人から紙の3Dメガネを渡され???ビデオで使用するときがあるとのこと。これが字幕部分にメガネの絵が表示されるので、どこで使用するかはわかりやすいのですが、そのたびにカサカサと音がしてしまうし、別にそんなことオペラに期待しないヨというのが正直なところ。
 最近主流の映像を駆使した演出ですが、とにかく何でも取り入れてみようという趣旨もあり、ローラースケート、太極拳&ブレークダンス、宙づりパフォーマンス等々舞台上はてんこ盛り状態。このような近くで観た場合は煩わしいと感じるであろう公演も、遠目で観ていると異次元空間の話のような、まるでSF映画を観ているような面白さがあって悪くないと思えました。新しいものを芸術としてとらえ、オペラという伝統的芸術と融合することは、現代と過去のアーティストのコラボであり、オペラが生き続ける芸術であるための一つの手段であることは間違いありません。それにその他大勢がさまざまなことをやっても、歌手の負担は少なそうなのが何よりといった演出でした。

 始まる前に座っていた席の後列から米語が聞かれ、序曲が始まってすぐにローラースケートを履いた集団が現れただけで案の定、ケラケラと笑声(vv。。。光GENJIを知らんのか!ちっともオモロナイワイ!と、心ひそかにムっとしてたのですが、その後は静かに鑑賞できたのですぐにムっは収まったのでした。それに光GENJIを知らなくてもやむをえないところです。

 前日の『ボエーム』では幕に反応する人がいて音楽に拍手が被ってしまいましたが、この日は幕がなく、拍手が全く被ることはありませんでした。アリアの後も拍手の間をとることなく続けて演奏してましたが、大きな劇場とあってか、さすがに「誰も寝てはならぬ」の後は演奏を止め、拍手の間を取ってました。

 歌手で注目していたのは長い間お休みしていたボータ。見た目が痩せたと思いましたが、歌声はほとんど変わらない気がしたので安心しました。イタリアもの、ドイツもの、オールマイティに活躍できる貴重な人で、オペラ界になくてはならない人です。




ラ・ボエーム・・・Bayerische Staatsoper・・・2016/7/6 [オペラ]

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 5日の『裁判官』から8日ベルリン『トロヴァトーレ』まで、どこで何を観ようか? エクスやマドリッドで興味のある公演はあってもさすがに遠すぎて面倒なので、結局ミュンヘンへ。

 源氏の白旗良い旗印[るんるん]よくみりゃ父ちゃんのふんどしだ[るんるん]という歌を思い出してしまった今年のバイエルンフェスのデコレーション。屋根の上の旗まで真っ白。そんな歌を思い出してしまったのも申し訳なく、白い布で統一したのには何か意味があるのかと思い、係りの人に尋ねたのですが、特に意味があるかどうかもわからないとのこと。でも少なくとも源氏の白旗やふんどしからイメージするわけはないのであります。

Musikalische Leitung Asher Fisch
Inszenierung Otto Schenk

Mimì Sonya Yoncheva
Musetta Julie Fuchs
Rodolfo Wookyung Kim
Marcello Levente Molnár
Schaunard Andrea Borghini
Colline Goran Jurić
Parpignol Petr Nekoranec
Benoît Christian Rieger
Alcindoro Peter Lobert
Ein Zöllner Igor Tsarkov
Sergeant der Zollwache Johannes Kammler
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 バイエルンというと斬新な演出のほうが強い印象ですが、カビが生えそうな演出もしっかり残っていて、このボエームもその一つ。ドイツ語圏は公演数の多さから、斬新な演出が一番多いのもドイツなら、カビが生えそうな演出が多いのもドイツ語圏で、結局選択肢が多いというところなのです。

 失礼ながら個人的にはオマケの公演なので大した興味もなく、唯一楽しみな点を挙げるとしたら初ヨンチェバ。
 演出の面白さなどあるわけないのですが、出演者のキャラがそれぞれ立っていて、なおかつチームワークよく、最後は結構泣ける良い公演でした。

 ヨンチェバはミミの役柄のイメージに声も容姿もピッタリ。プッチーニとあって結構鳴らす部分があったのですが、余裕の声量。
 パークは『冷たい手を』でハイCを出したのは立派。少々気になったのは演技面で、仲間達と歌うときは自然体でよいのに一人でアリアを歌うと歌に集中してしまうためか演技が不自然で不器用な感じになってしまっていたのですが、多くのテノールが避けて歌う高音を出していたのですから、それも納得の範囲ではあります。
 主役2人も良かったですが、マルチェロ&ミュゼッタ役がそれぞれ役柄に合って、個性を発揮したことも充実した公演となった大きな要因です。マルチェロ役のモルナールはこの劇場のアンサンブルのようですが、懐の大きさを感じる歌唱に人柄の好さがにじみ出ていて、ミュゼッタ役のフックスは茶目っ気ある愛らしさで好演でした。ただフックスはは爆演大声大会的な部分もあるプッチーニより古楽あるいはロッシーニなどの技術系のほうがより良さを発揮できるのかもしれません。もちろん声のコントロールも素晴らしいし、舞台センスもすごく良いので不満があるわけではないのですが、少々コンパクトな印象になってしまうので、劇場サイズもチューリッヒくらいで技術系の歌を歌っているほうがより素晴らしい気がしました。


裁判官・・Theater an der Wien・・2016/7/5 [オペラ]

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Musik von Christian Kolonovits
Libretto von Angelika Messner

MUSIKALISCHE LEITUNG David Giménez
INSZENIERUNG Emilio Sagi

FEDERICO RIBAS, RICHTER José Carreras
ALBERTO GARCÍA, LIEDERMACHER José Luis Sola
PAULA, JOURNALISTIN  Sabina Puértolas
MORALES, VIZEPRÄSIDENT DER SAUBEREN HÄNDE Carlo Colombara
ÄBTISSIN Ana Ibarra
MARIA | ZWEITE NONNE Maria José Suarez
ERSTE NONNE Itziar de Unda
PACO, KAMERAMANN Manel Esteve
ALTE FRAU Milagros Martin
VIER MÄNNER DER "SAUBEREN HÄNDE"  Thomas David Birch
VIER MÄNNER DER "SAUBEREN HÄNDE"  Julian Henao Gonzalez
VIER MÄNNER DER "SAUBEREN HÄNDE"  Ben Connor
VIER MÄNNER DER "SAUBEREN HÄNDE"  Stefan Cerny
ORCHESTER  ORF Radio-Symphonieorchester Wien
CHOR Arnold Schoenberg Chor (Ltg. Erwin Ortner)

 7月の旅行の最大の目的は6月に引き続きシラー劇場。その公演が8日で前後になにか観るべきものがあるかと調べたところ、TAWのシーズン発表時にはなかったこの公演が目に留まりました。現代作品も決して嫌いでなく、レアもの好き、それでカレーラスの名前が目に飛び込んできたのですから、聴いてみたくなったのも当然といえば当然です。カレーラスは現在リサイタルが活動の中心ですが、再度オペラの公演に出演するとなると見逃す手はありません。まして[猫]はリサイタルでさえ聴いたことがないので、お初でございます。

 作品はフランコ政権下のスペインで修道院が子供を誘拐、拉致して身寄りのない孤児として教育を行っていたという実話をもとに制作されたもので、コロノヴィッツはカレーラスに歌ってもらうために作曲したということです。スペイン語の作品であり、初演もビルバオですが、これはスペインの人たちにとっては忘れてはならない事件だったことは想像に難くなく、この作品は2度とこのような悲劇が起こらないようにとの願いを世界に発信するために制作され、カレーラスもその一翼を担うべく再度オペラに出演する決意をしたのかもしれません。

 ある男性が母親から死に際に誘拐された兄の存在を聞き、兄を探すというストーリー。アリアもありますが、厚くオケが鳴らすことも多く、のど自慢大会的なイタリアオペラではありません。ギターの音色が印象的に響く場面があったり、歌手の歌いまわしにもスペインの民謡を思い起こすような部分があったりとスペインの風土を感じる作品です。

 [猫]はこの作品で初めてこの悲惨な事件のことを知りましたが、カレーラスが出演しなければ鑑賞したかどうかは疑問です。現代作品も鑑賞しなくてはと再認識した公演でしたが、カレーラスの存在は大きな力であったことは間違いありません。品格のある美声は全盛期を彷彿とさせるものでした。


フィデリオ・・・Theater an der Wien・・・2016/6/20 [オペラ]

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Musikalische Leitung Marc Minkowski
Inszenierung und Bühne Achim Freyer

Leonore Christiane Libor
Florestan Michael König
Don Pizarro Jewgeni Nikitin
Rocco Franz Hawlata
Marzelline Ileana Tonca
Jaquino Julien Behr
Don Fernando Georg Nigl
1. Gefangener David Sitka
2. Gefangener Marcell Krokovay

Orchester Les Musiciens du Louvre
Chor Arnold Schoenberg Chor

 ウィーン芸術週間の公演です。

 オリジナルはチェルニャコフの演出だったのが、アキム・フライヤーに変更。その演出は人形劇風というより、人形劇。歌手が人形なのですが、これだったら本物の人形劇にして、歌手は脇でコンサート形式にしたほうが良いのではないかとも思われるもの。人形を作るより、歌手が人形になったほうが経費は節約できそうではあります。

 登場人物は全員仮面をつけたうえに着ぐるみのような衣装。
ロッコはマシュマロマンの体にジェイソンの仮面
フィデリオは白黒パンダ魔法使い
マルツェリンは露出狂娘
ヤキーノは競馬の騎手
ドン・ピサロがキャプテン・アメリカみたいな衣装の上に白いジャケット、仮面は子供が書いたウルトマンレオ
 まるでドン・ピサロがヒーローのような外見ではあったのですが、緑のムチを振り回し、出番でないときも出たり入ったり、俺様が悪だアピールに余念なしでした。

 セットはビルの建設工事現場の枠組足場のような3層構造で、登場人物それぞれ立ち位置が固定。下層に両手を左右に鎖で繋がれたフロレスタン、中層左からヤキーノ、ロッコ、マルツェリン、フィデリオ、上層左端にドン・ピサロ、中央にフェルランド。それぞれ回転式の壁や扉で背後に隠れたり表に現れたり・・・動く場所は決められていても常に舞台上にいなくてはいけないので歌手にとっては決して楽な舞台とはいえない上に、下層と上層は他のメンバーの様子もよく見えない孤独な状態で歌わなくてはいけないので結構やりにくい舞台ではないかと思えました。

 この演出で伝えたいことは何なのか?などと考える気もおこらなかったのですが・・・印象に残ったのは、とても生身の人間では表現できないほど残酷に見えたこと。フロレスタンが両手を繋がれている状態は両手が伸びきって完全に両肩脱臼状態。いかに人間が残酷になれるかということを伝えているようにしか見えませんでした。

 演出が意味不明でも音楽さえ・・・・というところですが、人形劇という演出が影響したか否か?本当にMLGが演奏してたの?という感じ。特に金管はどうしちゃったかな~~~~?どこのオケでも締まらないときもあるものだと改めて思うこととなりました。演出に合わせて一部セリフのカットあり、後半のレオノーレ演奏もなし。ミンコフスキは部分的に快速特急になることがありますが、今回は最後の重唱が快速運転。最終日でトットと終わらせちまおう的に聞こえてしまった感もなきにしもあらずですが、もちろんそんなことはないでしょう。

 歌手はそれぞれ好演。
 席が3階サイドの席だったので、上層で歌うドン・ピサロ役のニキーチンの生の声が真横からすごい迫力で耳に入ってきていたのですが、声は上に飛んでいくので、どうしても上で歌う人は下で歌う人より割りをくってしまいがち。平土間で聴いた人に尋ねるとやはりその通りだったとのこと。
 マシュマロジェイソン役、もとい、ロッコ役の人が暖かさのあるおおらかな感じで適役に思えたのですが、キャスト表を確認したらハヴラータ。オックス役で2回ほど聴いたことはありますが、全く異なる印象で、今回はこの人に意外性を発見。
 ケーニッヒは前回ローエングリンで聴いたときに演技がどうか?スタミナは?ということを機会があれば確認したいと思っていたのですが・・・・両手を縛られた着ぐるみの中でもがいている役だったので、確認しようがない演出でした。声は相変わらずピンと張りのある強さと、弱さとも取れるフワっとした優しさと両方を兼ね備えてましたが、スタミナ不足の懸念も全くない役なので、適役に思えました。

 終了後、即ブーが聞こえましたが、この演出では仕方なしかな?
 カーテンコールは賞賛のほうが多かったですが、『フィデリオ』を聴いたという実感が薄い公演ではありました。




神々の黄昏・・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER ・・・2016/6/19 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Guy Cassiers

SIEGFRIED Andreas Schager
GUNTHER Boaz Daniel
ALBERICH Jochen Schmeckenbecher
HAGEN Falk Struckmann
BRÜNNHILDE Iréne Theorin
GUTRUNE Ann Petersen
WALTRAUTE Ekaterina Gubanova
ERSTE NORN Anna Lapkovskaja
ZWEITE NORN Ekaterina Gubanova
DRITTE NORN Ann Petersen
WOGLINDE Evelin Novak
WELLGUNDE Anna Danik
FLOSSHILDE Anna Lapkovskaja
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 観にきて良かったと思える内容でありましたが、これだけのものを鑑賞すると他の公演が全てかすんでしまうので、いろいろ観るのも空しいかとも思えてしまったのでした。

 オケピはジークフリートと同様、上部が舞台側に湾曲した囲いあり。そして歌手はこの日も素晴らしいことこの上なし。結局のところ、バレンボイム先生の創りだすワーグナーの世界というのは演奏と歌手に一体感をもたらし、歌手を自然と活き活きと素晴らしく輝かせる結果になっているのだと再認識したのでした。

 テンポは1幕は遅めで2時間弱、2幕、3幕は中庸からやや早めといったところ。
 冒頭からして3人のノルンにグバノヴァとペテルセンを起用しての語りは圧巻。第2のノルンとワルトラウテは以前はマイヤーさまが歌っていたはず。マイヤーさまを引き継いだのはチーム・バレンボイムの一員であるグバノヴァ。ワルトラウテとしても清楚で真摯にブリュンヒルデに懇願するさまには、出番が終了した2幕後のカーテンコールでは観客からの賞賛の嵐。観客の反応にグバノヴァが驚き喜んでいる姿が印象的でしたが、いつもマイヤーさまが歌っていた役ということでプレッシャーはあったのかもしれません。
 ハーゲン役のシュトルックマンも遅めのテンポだからこそ生まれる言葉の力たるや物語のキーパーソンに相応しい凄みで圧倒的。
 ギュンター役のダニエルはウィーンを中心に活躍している人で以前イタリアもので聴いたことがありますが、ワーグナーで聴くのはお初です。体格がボリュームアップしたのはワーグナーを歌うようになったからでしょうか?おそらくバレンボイムの指揮で歌うのは初めてかと思うのですが、最初少々緊張ぎみに思えたのも真面目な性格のギュンターといった役作りで、イタリアものよりワーグナーのほうが合っていると思えた歌いっぷり。
 ペテルセンはエルダを歌った人とは同じ人とは思えない変身ぶりで、普通の純朴な女性というより少女に近い雰囲気で好演。
 シャーガーも『ジークフリート』のときのような天然ジークフリートではなく、物語どおり、記憶を失った別人のときもあり。
 テオリンの艶のある豊穣な歌声は終末を告げるのに相応しい風格といったものを感じるものでありました。

 スカラで『ラインの黄金』『ワルキューレ』を観たときのことを思い出せば、2作ではまちがいなく愛が存在してました。しかし、この演出が最後に伝えたのは『神々の黄昏』=『人間の黄昏』とならぬように・・・という警告。
 富と権力への欲望がもたらすものは破滅でしかないとでも示すように、降りてきた幕は津波に流される人々のようにも原爆投下後の地上にも見えたのでした。

 伝えていることの重さと終わってしまったという喪失感とが重なり、演奏が終了してもしばらく拍手は起こりませんでした。10秒くらい経ってから隣に座っていたおじさんがパチッと手をたたきました。しかし、それでも他の人からの拍手は続かず、おじさんは手を合わせたままフリーズ・・・・一呼吸おいて、一気に万来の拍手がわき起こったのでした。

 演出はほとんどコンサート形式といってもよいほど簡素なもので、セットなどは人間の手足のゼリー寄せのような階段とただの箱をいくつか寄せたもの。それでも終末へと向かう不穏な雰囲気があるだけで充分なのかもしれないと思えた公演でした。

 『ジークフリート』では時差がとれず、映像のチラツキにボーッとしてしまい、不覚にも温泉卵になってしまった[猫]でありましたが、時差に悩まされることなく無事に[猫]のワーグナー漬け神々の黄昏風味に仕上がったのでした。


スペードの女王・・・Nationale Opera & Ballet・・・2016/6/18 [オペラ]

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Muzikale leiding   Mariss Jansons
Regie   Stefan Herheim

Hermann   Misha Didyk
Graaf Tomski/Plutus   Alexey Markov
Vorst Jeletski   Vladimir Stoyanov
Tsjekalinski   Andrey Popov
Soerin   Andrii Goniukov
Tsjaplitski   Mikhail Makarov
Naroemov   Anatoli Sivko
Gravin   Larissa Diadkova
Liza   Svetlana Aksenova
Polina/Daphnis   Anna Goryachova
Gouvernante   Olga Savova
Masja   Maria Fiselier
Chloë   Pelageya Kurennaya
Ceremoniemeester   Morschi Franz

The Royal Concertgebouw Orchestra
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 ヘアハイムの演出、それもヤンソンス指揮RCOとなれば興味をそそらずにはいられません。

 ROHとの共同制作ということで予算は結構あったようで、セットはシャンデリアや鏡を駆使した素敵なものでした。
 ヘアハイムというとどこで何をやらかすか分からない意外性とファンタジックな面白さが魅力ですが、その辺はやはり保守的なROHとの共同制作ということがネックになったのか?比較的大人しく、少々肩透かしぎみだったといえないこともなし。
 もちろんヘアハイムらしい‘やらかし’が全くなかったわけではありません。詳細を書くことは控えますが、一幕最後にヤンソンスが観客のほうを向いて指揮してくれるとは思ってもおらず、ちょっと感動しました。ただし、観客がコーラスに促されて総立ちとなるのはいかがなものか?立つという動作は音楽に集中できなくなるし、背の低い人は何も見えなくなってしまって気の毒でした。

 この演出の主役はチャイコフスキー。さて、そこで思い出されるのがザルツの『マイスタージンガー』これを鑑賞したわけではありませんが、確かワーグナーが登場したはず・・・・。デュッセルドルフで鑑賞した『セルセ』は作曲した時代、場所を再現したようなセットでしたが、もしかするとヘンデルがいたの?などと思い起こしてしまいました。
 今後も作曲家ををクローズアップして登場させる演出を制作するのでしょうか?いずれにせよこれからもも注目すべき演出家であることは間違いありません。今回もチャコフスキーについてよく調べてあって、なるほどと思わされることは多々あり。チャイコフスキー役はエレツキー役も兼ね、ヘルマン役はチャイコフスキーが好意を持っている人物の役も兼ねてましたが、ヘルマン役がチャイコフスキーを見下すような場面が織り込まれ、チャイコフスキーが悩みながらこの作品を制作していることを表していたのは面白いアイデアです。それにもかかわらず、終わってみると肩透かしぎみに感じたのは、終わり方が’やはり’と想像できてしまったからかもしれません。

 歌手では演出上の主役チャイコフスキー&エレツキー役のストヤノフが歌う場面は多くないのにほとんど出ずっぱり、作品の主役ディディクもヘルマンとして悩んでいたと思ったら女王に変装してチャイコフスキーを嘲笑したりと強烈な印象を残し、この2人が好演していたのが印象に残りました。

 チャイコフスキーを主役にした演出とあってか、ヤンソンス指揮RCOの演奏は特に大袈裟なところはなく、作品の流れの美しさをそのままを大切にしたというところ。ただし、以前ここで『パルジファル』を聴いたときにも感じたことですが、音響のせいか否か?RCOの音は柔らかく、どちらかというとヘナチョコ系でした。もっともSKBのリングの間に聴いてしまうと、ほとんどのオケはヘナチョコ系に聞こえてしまうのは致し方なしではあります。

 カーテンコールは大変盛り上がってスタンディング・オベーションでした。

トロヴァトーレ・・・Deutschen Oper Berlin・・・2016/6/16 [オペラ]

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Musikalische Leitung Roberto Rizzi Brignoli
nach einer Inszenierung von Hans Neuenfels

Gräfin Leonora Angela Meade
Inez Rebecca Jo Loeb
Graf Luna Dalibor Jenis
Ferrando Marko Mimica
Azucena Dana Beth Miller
Manrico Carlo Ventre
Ruiz Burkhard Ulrich
Ein Zigeuner Hong-Kyun Oh
Ein Bote Sungjin Kown

 ありえないほどおぞましい内容である一方で、音楽は軽妙にオチャラケた部分もあるこの作品。数あるヴェルディの作品の中でも演出にいろいろ変化をつける余地があるのは魅力です。この公演は子供に話す怖い話といった趣あり、陳腐な発想もありでした。

 まずもって、ノイエンフェルスのキッチュな演出が面白すぎ!何が面白いって、バイロイトのねずみと同じく、この作品でもコーラスがやらかしてくれます。全員長い白鬚、黒頭巾、カボチャパンツという姿だけで十分にキッチュで面白いのですが、奇妙な恰好でウジョウジョと動くとまるで白鬚虫。
 最もハマったのがレオノーレの歌うDi tale amor・・・の場面。
舞台中央に馬の置物が置かれていて、レオノーレが乗馬をしながら歌っているという設定。当然置物の馬が走るわけはないので、その疾走感をだすために流れる背景の役割を果たすのがコーラスの白鬚虫たち。あるものは手を振りながら、あるものはピョコピョコと飛び跳ねながら左から右へと一人、また一人と流れるという超アナログな演出が可愛すぎる!!音楽自体がギャロップしたくなるような曲、これをブリニョリ率いるオケも実に軽快に演奏し、レオノーレ役のミードが気持ちよいほど正確に小気味よく歌うのも可愛いことといったらこの上なし。この場面だけでも鑑賞できた甲斐があったというものでした。

 数々の意味不明や突っ込みどころは・・・・何故ルーナとマンリーコが闘牛士のような恰好なのか?Torobadour,Treadore・・・・確かに似てるかも?などと一人ボケツッコミ状態。ルーナ伯爵の少年期やアズチーナの母親が焼かれてしまう場面などは背後で黙役が演じるのですが、それがほとんど学芸会。おまけにルーナ伯爵がレオノーレに迫る場面では牛の肉塊の中に裸の女体が隠れているような絵が背後にあって、肉欲そのまま。
 まるで悪のり学生の発想をそのまま大劇場のプロの公演でやっているような、徹底したアナログ手法の演出には一種の潔さを感じてしまいました。それでもルーナ伯爵が生まれつき足が悪く、父親から見放されて育ったという設定で、後をひくような悲劇に仕立てているのは悲劇として押さえるべきところは押さえているといったところ。
 
 歌手の人たちにはそれほど負担のない演出に思えましたが、どちらかというと女性歌手陣のほうが光ってました。
 唯一演技で変わった動きが必要だったのはアズチーナ役。そのアズチーナ役だけはアンサンブルの人のようで、すごく慣れた感じで好演してました。
 ミードはもっと大柄な人かと想像していたところ、背丈はそれほどでもなく、演出のせいもあって、正確に歌う様はまるでテープレコーダー内蔵のお人形さんのように可愛いという印象。
 イェニスは生まれつき足の悪い兄ちゃんで父親から疎まれて育ったという複雑な設定もあってか、傲慢な印象は希薄。結末は書かないでおきますが、本来のトロヴァトーレとは異なる哀れを誘ってました。
 ヴェントレはバカッパレのテノール声ではありませんが、荒々しい歌いっぷりで悪くなかったです。

 音響に不安のあるDOBですが、上手さなど不要、『トロヴァトーレ』の醍醐味である庶民的な演奏のドンチャカ感はバッチリでした。


ジークフリート・・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER・・・2015/6/15 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG  Daniel Barenboim
INSZENIERUNG  Guy Cassiers

SIEGFRIED Andreas Schager
MIME Stephan Rügamer
DER WANDERER Iain Paterson
ALBERICH Jochen Schmeckenbecher
FAFNER Falk Struckmann
ERDA Anna Larsson
BRÜNNHILDE Iréne Theorin
DER WALDVOGEL Christina Gansch

 2010年の6月に『ラインの黄金』12月に『ワルキューレ』、共にスカラで観てから早6年・・・・当然その間に行けるものなら行きたかったのですが、行くこと能わず・・・・・ようやく念願かなってスカラ・ベルリンリングの続きを鑑賞することができました。『ワルキューレ』と『ジークフリート』の間が開いたことは物語としてかえって自然ではありませんか?と、これまで行けなかったことを自分自身に納得させての鑑賞です。

 オケピは上部が舞台側に湾曲している覆い付き。壁側のバイオリンだけ床が少し高くなっているのはトリイゾやパルジファルのときと同じ。指揮のバレンボイムがオケピに入ってくるのは観客からは見えず、拍手なしで始まるのも同じでした。

 キャストは2010年からかなり変わっていて、ブリュンヒルデは火の中でお休みしていた間にいろんな意味でヴォリュームアップ。シュテンメからテオリンに。ローゲだったリューガマーはミーメに。アルベリヒはクレンツレがお休み中のためかシュメッケンベッヒャーに。ヴォータンはパーペ→コワリョフ→パターソン

 この歌手が全員素晴らしかった!
 特にタイトルトールのシャーガーはそのまんまジークフリートというか、天然ジークフリート。
そんなに声を張らなくても小さな劇場だから十分なんですけど・・・・と他の人から言われたことがあるに違いないと思うのですが、3歩あるいたら忘れちゃうタイプ。いや、3歩歩かなくても3小節歌ったら忘れちゃうタイプ。
 しかし、それこそがジークフリート!
 それにちょいと一本調子と言えないこともない。
 それこそがジークフリート!と納得してしまう天然の奔放さ。
 姓は天然、名はジークフリート、ってことで、シャーガーのニックネームは天然くんに決定。スタミナの心配など全くなし。そんなの当然さ、だってオイラはジークフリートだぜ、てなところでカーテンコールでも余裕でニコニコ。

 テオリンのブリュンヒルデもシャーガーの声の張り上げにつられてなのか?やはりそこまで張らなくても・・・という部分はありましたが、濃厚な声はSKBの音に合って素晴らしい出来。

 演出は前2作よりも簡素になった印象だったのは、いかにも共に資金調達が厳しかったスカラとの共同制作というところ。『ラインの黄金』ではあっても『ワルキューレ』ではなかったダンスが再登場してましたが、違和感はありませんでした。考えてみると2010年当時は珍しくて違和感のあったダンスも最近は取り入れる公演が多く、慣れというのもあるのかもしれません。

 リンデンではいつもワーグナー漬けになる[猫]でありましたが、今回は天然ジークフリート温泉で湯あたりしたようなボーっとした感覚になってしまいました。時差は調節するのが年々難しくなり、到着した次の日でも公演途中で少々辛くなってしまったのは情けないところでしたが、背景のチラチラした映像の睡眠誘導効果は侮れないものでした。

 ワーグナー漬けというよりも天然ジークフリート温泉名物、温泉卵になったような感覚で帰路につきました。←なんじゃらほい?



スペードの女王・・・Opernhaus Zürich・・・2016/6/14 [オペラ]

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Musikalische Leitung Stanislav Kochanovsky
Inszenierung Robert Carsen

Tschekalinski Martin Zysset
Surin Dimitri Pkhaladze
Graf Tomski Roman Burdenko
Hermann Eduard Martynyuk
Fürst Jeletzki Brian Mulligan
Lisa Oksana Dyka
Gräfin Doris Soffel
Polina Judith Schmid
Mascha Hamida Kristoffersen
Gouvernante Judit Kutasi
Tschaplizki Iain Milne
Narumov Bastian Thomas Kohl
Festordner David Margulis

 6月の旅行はベルリンでスカラ・ベルリン・リングの続きを鑑賞することが第一の目的。ついでにチューリッヒとアムステルダムの2か所で『スペードの女王』&DOB『トロヴァトーレ』&デュッセルドルフ近郊のノイスにあるグローブ座でした。
 このチューリッヒは到着日、こちらの『スペードの女王』はミハイル・ユロウスキ&カーセンなので興味津々であったのですが、ご高齢で体調がよくないのでしょうか?知らない間にユロフスキから弟子のコチャノフスキに変更になってました。それでも最近あちこちで売り出し中といった指揮者ですから、違った楽しみに変わったというところです。

 カーセンの演出はいかにも低予算。集金能力抜群のビジネスマン、ペレイラ氏が去って資金面では厳しくなってしまったのは致し方なし。しかし、低予算だから悪いとは限りません。
 緑を基調とした壁面に囲まれた空間は全幕通してかわらず、椅子やテーブル、ベッドなどを変えることでカジノや邸内に変更するだけでしたが、同じ壁面に囲まれていることが閉塞感をもたらし、時にまるで手品のように人が現れたり消えたりするのも面白い演出でした。仮面舞踏会のバレエシーンなどはカットでしたが、閉塞感のある演出にはカットのほうが自然と納得でした。

 演出がシンプルだった一方で、歌手の歌い方は3枚のカード「три карты」という言葉を強調していたのが印象的で、指揮者のコチャノフスキをはじめロシアやウクライナ出身の歌手陣の言葉へのこだわりにも思われましたが、確かにこの言葉こそ物語におけるキーワードであり、音楽としても効果的なアクセントになって緊張感をもたらす要因となってました。

 歌手陣で賞賛が大きかったのはヘルマン役、リーザ役の他、「три карты」を上手く協調していたトムスキー役とエレツキー役。伯爵夫人役のゾッフェルもベテランの上手さを発揮していた上に美しく、話の信憑性として大いに納得できる好演でした。
 ただリーザ役のディカが声がよく出すぎというか、チューリッヒのサイズでは強すぎ、迫力ありすぎで少々浮いていると感じてしまいましたが、それもスカラで聴いたアメーリアのときのほうが美しく馴染んでいたような気がするというだけのことかもしれません。
 そういえば、スカラで聴いたことのあるソプラノを他の劇場で聴いて、スカラで聴いたときのほうが美しい声だったと感じるのはこれで3回目です。全てたまたまスカラで歌ったときのほうが調子よかったというだけなのか?そうではなく、スカラは素のままの美しい声を聴ける劇場だと思うのです。



ローエングリン・・・Semperoper・・・2016/5/29 [オペラ]

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Musikalische Leitung Christian Thielemann
Inszenierung nach Christine Mielitz

Heinrich der Vogler Georg Zeppenfeld
Lohengrin Piotr Beczala
Elsa von Brabant Anna Netrebko
Friedrich von Telramund Tomasz Konieczny
Ortrud Evelyn Herlitzius
Heerrufer des Königs Derek Welton
Erster Edler Tom Martinsen
Zweiter Edler Simeon Esper

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 ネトレプコがエルザを歌うということで話題にならないわけがない公演。
 ぜ~~~~ったいににチケットが手に入るわけないだろうけど、万が一手に入ったら行ってもいいかな?てなイージーな気持ちで発売日に臨んだにもかかわらず、あーーらあら不思議・・・買えてしまった・・・・・ほんじゃまーしゃーない・・・・行ってくるか・・・てな感じ・・・と言ったら、ネトレプコファンに袋叩きに合ってしまうでしょうか?いや、そんな甘いものではなく、多くのワグネリアンにとっても注目の公演。どれだけの人を敵に回すか、想像するだに恐ろしきことかな。

 公演全体の印象は爆演、大声大会。爆演という印象が強くなった一番の理由はコーラスと演奏のバランス。しかし、舞台の広さがバイロイトのように広いわけではないためコーラスの人数がそれほど多くなく、オケピの壁が内側に湾曲しているわけでもないので、どうしても演奏のほうが勝ってしまってコーラスがもたらす高揚感が希薄だったのは致し方ないのかもしれません。また、購入時に席の位置まで選べなかったため、前から6列目の端の方で管が近く、楽器のバランスとして管が強かったことも爆演に感じた原因かもしれません。それでも個人的にワーグナーは爆演が好みであり、ワーグナー歌いたるもの厚いオケを超えて声を響かせる技術は持っていて当たり前。今回は正にこれぞワーグナー!といった充実感でした。今までティーレマンのワーグナーについては音を抑えるのが窮屈な収束感があってイイ感じがしなかったのですが、今回はそんなことを感じることもなく、演出、演技を伴っての長めのパウゼも自然なものでした。ワーグナーデビューの2人が歌うとき、テンポがゆっくりと感じるときがあった一方で、最後の名乗りは意外にアッサリとした印象で、2人が歌いやすいテンポを取ったかもしれないと思いながらも、わざとらしさを感じることはありませんでした。

 ネトレプコについては厚いオケを超えて声を響かせることについてはもともと全く不安は持っておらず、不安があるとするならなんといってもドイツ語であり、これは大多数の人の懸案事項でしょう。これが聴いていて・・・よくなくな~い?!?!ということで休憩時にドイツ人の人に尋ねたところ、何を言っているか分かるし、すごく勉強したことは想像できる。ベチャワもよいとのこと。ピッチが怪しくなったり高音が雄叫び風に聞こえてしまうことが全くなかったわけではありませんが、語るように歌うワーグナーではほとんど気にならず、その豊潤で柔らかい声はおっとりとした可憐なエルザでした。

 ベチャワについては以前リンツのアンサンブルだった上にチューリッヒでも活躍していたのですから、ドイツ語は全く問題なしとのこと。[猫]の願いはただひとつ。どうかイタオペみたいな泣きはいれないでネ、女々しくなるから・・・・ではありましたが、想像していたよりも凛とした騎士で立派でした。ただ3幕エルザとのやり取り以降、泣きが入ったり、歌いまわしがイタオペ風になることが少々あり。さらに、脇を固めていたのは堂々たるワーグナー歌いばかりという中、最後の名乗りでは更なる高揚感を要求されるのがローエングリン役という点で、そこはなかなか厳しいところ。これは個人的に本物のローエングリンばかり聴いてしまったが故の高望みであり、ロールデビューでそこまで要求することはできないのは当然ではあります。結局、ローエングリンというよりも白雪姫か眠りの森の美女に登場する王子様のような印象で、モンサルバートというのはブラバントの隣国であり、その王子が匿っていたゴットフリートを連れてきてくれたかのようなお話に思えたのでした。

 最後にワーグナー歌いたるものどうあるべきかを強烈なインパクトで示したのがヘルリツィウスで、全部持って行ったという感あり。元ゼンパーアンサンブルのヘルリツィウスにとってこの役は朝飯前でしょう。観客の多くは同様に感じたらしく、カーテンコールでは主役2人に勝らずとも劣らず賞賛あり。
 同じく元アンサンブルのツェッペンフェルトとて同様。加えてワーグナーでは実績のあるコニェツィーも伝令役のヴェルトンもよく、脇を固めた実力派揃いのワーグナー歌手と要である指揮のティーレマンによって高品質の公演となったのは衆目の一致するところとは思いますが、そんなプロ中のプロ集団の中、ネトレプコとベチャワの好演はワーグナーデビューとして大成功といって良いのでしょう。

 カビが生えそうな演出も、現在では古き良き時代の面影を残す貴重なものであり、存続意義はありそうです。本場ドイツでロールデビューだったネトレプコにとって、演技にそれほど気を使うことなく歌に集中できる演出は追い風でもあったかもしれません。一方、ベチャワにはスカラのグート演出のような、普通の男にローエングリンの精霊が宿ったといった演出のほうが合うのかもしれません。


 余談ではありますが、ワーグナーに全く興味のないネトレプコファンとベチャワファンも相当数押し寄せているだろうことから、フライングの拍手があるのではないかと懸念してました。一幕終了時はやはり幕に反応してしまった人がパラパラといて少々残念ではありましたが、2幕、3幕終了時には全くなし。周囲の人が注意をしたかもしれませんが、おそらくはあまりにパラパラとした少ないフライング拍手だったので自分自身で気づいたのでしょう。

 カーテンコールではイタリア人グループが舞台近くに押し寄せてました。スーツ姿でバッチリ決めたオヤジになる前のイケ面風集団でネトレプコファンかと思いきや、ティーレマンやその他の出演者にも同様に賞賛を送って大盛り上がり。イタリア人のワグネリアンだっていて当然です。隣に座っていたドイツ人の人はムーティ先生のファンとのこと。それも全く自然なことです。

 ネトレプコがバイロイトでエルザを歌うかもしれなような話もありますが、バイロイトでは聴く気はしません。他でも書きましたが、バイロイトはワーグナー歌いを目指した人達が実績を重ねて、ようやくたどり着くところであり続けてほしいからです。もちろん今後も歌いたければ歌い続けても良いとは思うのですが、どうしてもとまでは思いません。今のネトレプコで聴くのが一番という役は他にあって、エルザは他にも合う人がいるのですから、自然体で今の良さを発揮できる役に取り組んでもらうのが何よりです。

 尚、神々しき本物のローエングリンはこのとき、日本にいたのでした。それを鑑みると、ネトレプコのエルザを聴いたよ・・・と自慢できるかは?何故なら2人の歌い方が気になって物語としての感動があったかというと・・・・微妙・・・としか言えず。本物のローエングリンは何回も聴いているから新国はパス・・・そんな憎まれ口をたたいても、ただの負け惜しみのような気もするのです。
 いやいや、なんだかんだ言っても満足に決まってますって!
 


ジュリエッタ・・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER・・・2016/5/28 [オペラ]

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Lyrische Oper in drei Akten von Bohuslav Martinů

MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Claus Guth

JULIETTE Magdalena Kožená
MICHEL Rolando Villazón
KOMMISSAR | (BRIEFTRÄGER) | (WALDHÜTER) | BEAMTER Richard Croft
KLEINER ARABER | 3. HERR | JUNGER MATROSE Thomas Lichtenecker
ALTER ARABER | ALTVATER JUGEND | ALTER MATROSE Wolfgang Schöne
VOGELVERKÄUFERIN | 1. HERR | HANDLESERIN Elsa Dreisig
FISCHVERKÄUFERIN | ALTE DAME | ALTE FRAU Adriane Queiroz
MANN MIT HELM | VERKÄUFER VON ERINNERUNGEN |BETTLER Arttu Kataja
MANN AM FENSTER | ALTER MANN | STRÄFLING | NACHTWÄCHTER Jan Martiník
2. HERR Natalia Skrycka
LOKOMOTIVFÜHRER Florian Hoffmann

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 マルティヌーのオペラはいつか聴きたいと思っていて、フランクフルトで一度聴こうと計画はしたのですが、日本から到着する日で飛行機が遅れたため、諦めたことがあったのでした。

 フランス語の洒落た響き、ウィット溢れる冗談、哀愁を帯びるアコーデシオンやハモニカの音色。コメディのような明るさもありながら、常にもの悲しさと緊張感に満ちた音楽です。異郷で成功し、何不自由ないようであっても時代に翻弄され故郷に帰れない寂しさを抱えた作曲家の心模様が何とも言えない美しさとなって現れた作品でした。

 ジュリエッタというタイトルですが、主人公はミシェルという一人の男です。
全てはミシェルの想像ですが、ミシェルは作曲家自身であり、ジュリエッタは帰りたくても帰れない愛おしい故郷のようでした。

 なんといってもミシェル役のヴィリャゾンの渾身のパフォーマンスは感動的。名役者であり、名歌手であります。声が枯れそうになるときもありましたが、だからこそ伝わるものがありました。
 ジュリエッタ役のコジュナーもバーデンバーデンでで聴いたときとは別人。声にまろやかや艶があり、豊かな魅力に溢れて正に憧れのマドンナでした。
 脇の歌手の人達もそれぞれ好演でしたが、Elsa Dreisigがチョイ役でも光っていて、カーテンコールでも賞賛されていたので地元で人気の若手アンサンブルなのだろうと思っていたら、この公演の後、7月にNYで行われたオペラリアで最優秀賞を受賞とのこと。今後あちこちの劇場で活躍することでしょう。

 グートの演出は閉塞感とジレンマをシンプルながらも美しく表現していて、作品のイメージ通り。

 カーテンコールでは出演歌手と指揮のバレンボイムはもちろんのこと、グートをはじめとする演出チームにも賞賛が溢れ、スタンディングとなったのでした。

 もっと上演してほしい作品であり、他のマルティヌー作品も鑑賞したくなるものでした。


ディドとエネアス・・・Hessischen Staatstheater・・・2016/5/27 [オペラ]

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Henry Purcell

Konzept, Musikalische Leitung & Inszenierung Thomas Hengelbrock

Dido Kate Lindsey
Aeneas Benedict Nelson
Belinda Katja Stuber
Schauspiel / Sorceress Johanna Wokalek
Second Woman Agnes Kovacs
First Witch Anne Bierwith
Second Witch / Spirit Marion Eckstein
First Sailor Hermann Oswald
Balthasar-Neumann-Chor & -Solisten | Balthasar-Neumann-Ensemble
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 劇場に向かうために準備を始めたころ、天候が激変。すごく良かった天候が雷を伴う豪雨となってしまいました。それでも雷は遠そうだったので傘をさして向かったものの、道路を渡るのも道の端が川のように水が流れていて、それがとても一跨ぎできる幅ではなく、結局靴の中まで水浸しになるという有様。
 これでは劇場の準備にも影響しているのではないかと思っていたところ、観客は集まっているものの、中々観客席の扉を開けてくれず・・・・5分前になってようやく観客席に入れてもらえたのですが、舞台上では清掃スタッフのような人たちが床を拭いている状態。これは最近よくある開演前から舞台上で演技が始まっているパターンかと一瞬思ったものの、以前見たことのある舞台写真とは随分イメージが異なるのでやはり準備の遅れだろうと思い直したのでした。

 舞台セットは大きな石がいくつか置かれただけのシンプルなもの。演奏が始まる前にヒューヒューという風の音がかすかに流れ、外の嵐の音が聞こえるのかと一瞬戸惑ってしまいました。
 演奏が始まり、冒頭に登場する魔女役の人は歌手ではなく女優。パーセルの時代のイギリスではオペラというより劇付随音楽が主流だったそうで、正にその雰囲気を味わいながらの序曲。魔女のドイツ語の語りを聞いていると、外の急激な天候の変化も彼女がこの劇場に来たからに違いない・・・とさえ思えてしまったのでした。
 オペラは英語ですが、字幕はなし。
 ディド役のリンゼーのふくよかな重い声は高貴でありながら哀愁を含み、エネアス役のネルソンは精悍でありながら優しさも漂う。
 演出も指揮者であるヘンゲルブロックですが、衣装やその他大勢の動きが曲調に合っていて、美しい悲劇を堪能させてもらいました。

 このプロダクションは昨年のザルツブルクでやったものですが、フェルゼンライトシューレの舞台に合って良い趣だったことでしょう。


オルランド・・・Opernhaus Zürich・・・2016/5/24 [オペラ]

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Oper von Georg Friedrich Händel

Musikalische Leitung William Christie
Inszenierung Jens-Daniel Herzog

Orlando Bejun Mehta
Angelica Julie Fuchs
Medoro Delphine Galou
Dorinda Deanna Breiwick
Zoroastro Scott Conner

Statistenverein am Opernhaus Zürich
Orchestra La Scintilla
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 演出は大戦後、戦争の英雄として帰還したオルランドが精神的な病をかかえ、精神病院に入るという設定で、ゾロアストロは精神病院の医者、ドリンダは看護婦というコメディ仕立ての雰囲気でした。演出が多少不自然でも、歌手陣の歌と演技で面白いものにしてしまう充実感は遠征しなければ味わえないものです。
 なんといってもメータの狂乱での技巧は聴きごたえ十分。病院の警備室から斧を奪って暴れるというのはありえない設定ながら面白い・・・いや、ありえないからこそ面白いのかな?
 アンジェリカ役のフックスは歌唱技術もさることながら、高音でも声質が変わらず、きれいな発声なのが魅力。
 ドリンダ役のブライヴィックが技巧を駆使した歌の最中でもコニカルな演技を自然にこなして舞台センスの良さを発揮。
 メドーロ役ガロウが本当にいそうな優男風、大柄なコナーズのゾロアストロが堂々と全ては手の内といった雰囲気が良し。

 到着日で少々ウトっとしてしまったのがもったいなかった公演でした。

アリオダンテ・・・Opéra de Lausanne・・2016/4/20 [オペラ]

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Direction musicale Diego Fasolis
Mise en scène, décors, costumes et lumières Stefano Poda

Ariodante Yuriy Mynenko
Ginevra Marina Rebeka
Dalinda Clara Meloni
Il re di Scozia Johannes Weisser
Lurcanio Juan Sancho
Polinesso Christophe Dumaux
Odoardo Jérémie Schütz

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 ローザンヌに来たのは初めてのこと。チューリッヒより小ぶりの劇場は古楽を聴くのにはちょうど良いサイズ。フランス語圏ということもあり、フランスのバロック好きにも通じるものもあるかもしれません。

 オケピを覗くと意外に深く、2台のチェンバロだけ台座をつけて浅い位置に置いてあるのが珍しい気がしましたが、チューリッヒやTAWより小ぶりな劇場だからでしょうか、演奏のバランスは各楽器のバランス、歌声とのバランス、共にこのオケピ設定でちょうどよいと実感しました。

 始まる前にアナウンスがあり、ペレスの調子が悪く代役が歌うとのことでした。てっきりH/Pでも代役の名前が載っていると思って名前を記憶する必要はないだろうと思っていたのですが、H/P上に記載がなく、代役で歌った人が気の毒なきがしました。冒頭こそ緊張ぎみといった面が垣間見れたのですが、小柄で品よく、可憐な歌声は姫君といった雰囲気に満ちて、彼女で良かったとさえ思えました。

 演出は゛壁に耳あり、障子に目あり”ならぬ゛壁に耳あり、壁に目もあり”。さらに゛天井に手あり”で屋根にはその手を根とするように草が生えているというセット。因果応報を象徴するようでありましたが、最後は現代的な読み替え演出で、失望して疾走するような男にハッピーエンドはありえないとばかり、゛覆水盆に返らず” でした。

 この公演を観たいと思った理由は2人のCTですが、2人とも適材適所。
 ミネンコは見た目も歌声もストイック。高音が少々強引に聞こえるのがさらにストイックさを強く印象づけたのですが、裏切られたと思いこんだときの自分自身を追い込んで行く様子がまざまざと現れてました。歌が長いフレーズを息継ぎなしでアジリタ三昧で難しそうな部分でも、顔色一つ変えず歌いきるのは見事。
 デュモーはチョイ悪からチョー悪まで、悪役が似合いずぎ。今回はチョー悪の役ですが、アジリタの部分でも痩せていたころより間違いなく声量アップしていると実感できました。

 他の出演者も好演で、全体的に洗練された印象のとても充実した公演でした。


マクベス・・・Opernhaus Zürich・・・2016/4/19 [オペラ]

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Musikalische Leitung Teodor Currentzis
Inszenierung Barrie Kosky

Macbeth Markus Brück
Banco Wenwei Zhang
Lady Macbeth Tatiana Serjan
Kammerfrau der Lady Macbeth Ivana Rusko
Macduff Pavol Breslik
Malcolm Airam Hernandez
Arzt Dimitri Pkhaladze
Diener Macbeths, Mörder Erik Anstine

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 10月に観たウィーンの『マクベス』は秀作でしたが、コンセプトも手法も全く異なるものながら、この『マクベス』も秀作でした。


 コスキーとクレンツィス、この2人の個性が交わったとき、どのような作品になるか?それは1+1=1といったコンセプトの一致がある一方で、1+1=10、あるいはそれ以上の大きなインパクトのある作品に仕上がってました。

 『炎の天使』の強烈な演出が記憶に新しいコスキーですが、今回も魔女の集団は・・・こんなもの見たくないヨ・・・といったギョッとするような裸体の集団です。しかし、そう思うのも一瞬で、映像を重ねることによって芸術と言ってもよいほど幻想的なシーンに昇華してしまう手法は見事としか言いようがありません。それにこのギョッとするようなシーンは極僅かで、ほとんどは闇という極めてシンプルな演出でした。
 魔女である裸体集団は歌わず、コーラスは真っ黒な衣装で常に暗闇の中で歌って観客からは見えません。セットといえるようなものは2つの椅子くらいで、真っ暗闇の中、舞台外側から内側奥へ向かってトンネルのように点々と4本のライトが並び、舞台前方頭上に歌手を照らすライトがあるだけ。
 永遠に続く闇の中、登場人物は闇から出で闇に帰す・・・・人間の深層心理に潜む闇の部分を闇で表現した心理劇といった様相でした。

 セットがシンプルな一方で、演出に合わせて演奏は様々な手法で変化に富み、厚みといったものさえ感じるもので、オランダ人がワーグナーのヴェルディもどきなら、マクベスはヴェルディのワーグナーもどき、とさえ思えるものでした。演出に合わせて、長いパウゼを作ってマクベスのハァハァという息を入れたり、バンコーの子供が持っていたボールがはずむ音だけを観客に聞かせたり、合唱の声をPAを使って観客の背後から流したり・・・・。それら全てがゾクゾクの連続で、ヴェルディらしく歌手にしっかりと歌わせながらも、観客の心理状態をも闇の緊張感に導くものでした。
 
 最後にマクベスが殺害される瞬間・・・舞台は未だ闇に包まれていても、観客は目の前が明るくなるように緊張感から解放され、コスキー&クレンツィスが創り上げた世界に目から鱗の状態になるのです。

 歌手も全員完璧にコンセプトを伝えることに成功してました。

 カーテンコールはスタンディング・オベーション!




ドン・パスクワーレ・・・Wiener Staatsoper・・・2016/4/18 [オペラ]

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Evelino Pidò | Dirigent
Irina Brook | Regie

Michele Pertusi | Don Pasquale
Juan Diego Flórez | Ernesto
Adam Plachetka | Malatesta
Valentina Naforniţa | Norina
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 4月の旅行の目的はこの公演とローザンヌの『アリオダンテ』でしたが、タイトルロールを歌うのはダルカンジェロだったはずが、知らない間にペルトゥージに変更になってました。

 それでもこのペルトゥージがとても良く、のほほ~~~んとしたと温かみのあるとぼけ方が最高。マラテスタ役のプラチェッカが深い声のバスなので、声の組み合わせとしては同じバスのダルカンジェロよりもバリトンのペルトゥージのほうが良いようにも思えました。

 演奏ものほほ~~~んとした緩さあり、テンポよく爽快な軽妙さあり。フワフワ、ホンワカとした音は指揮者のピドの意図もあってか、明らかにいつものウィーンフィルと違う音。こんなヘナチョコ系の音を出すときもあるのだと少々意外ではありましたが、この作品にはヘナチョコ系の音こそが合っていて、これもウィーンフィルの上手さと思わされました。

 フローレスもノリノリでしたが、なんと全力ピルエットを披露してくれるとは思いもよらず!!それも1度や2度でなく、そんなにクルクル回ったら三半規管がおかしくなって歌に影響すると心配になるほど。それでもそんなことはおかまいなしの楽しさは最高でした。

 ノリーナ役はアンサンブルの人でしたが、スリムな美人で役のイメージにピッタリの声。フローレスのようなスターと一緒でも何ら遜色なく、活き活きとしたさまは素敵でした。

 この日、チケットが取れずに立ち見しましたが、並んでも鑑賞した甲斐があった公演でした。

イェヌーファ・・・Wiener Staatsoper・・・2016/4/17 [オペラ]

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Ingo Metzmacher | Dirigent
David Pountney | Inszenierung

Christian Franz | Laca Klemen
Marian Talaba | Stewa Buryjia
Angela Denoke | Die Küsterin Buryja
Dorothea Röschmann | Jenufa
Aura Twarowska | die alte Buryja
Il Hong | Altgesell
Alexandru Moisiuc | Dorfrichter
Donna Ellen | Frau des Dorfrichters
Hyuna Ko | Karolka
Lydia Rathkolb | Schäferin
Ulrike Helzel | Barena
Annika Gerhards | Jana

 通常、ウィーンへの直行便を利用すれば到着日に鑑賞することにそれほど無理はないのですが、この日は日曜だったせいか、開演時間が18時。これは一幕は無理かと覚悟はしていたのですが、更に到着が1時間以上遅れ・・・・劇場に到着したときは2幕途中。
 ロビーでテレビの映像を見ながら過ごしたのですが、劇場で鑑賞するのとは違ってアップで見るのも表情まで分かって感動的でした。特にフランツですが、その表情、仕草、たたずまいに情があるというのがアップで見るとよく分かるものでした。
 
 デノケは今回は母親役ですが、イェヌーファも歌っているはずです。ただレシュマンの声と比べるとレシュマンのほうが甘い可憐さがあるのでデノケが母、レシュマンがイェヌーファというのがすごくしっくりとしてました。凛とした母とたおやかな娘でありました。

 カーテンコールではデノケとレシュマンに大きな賞賛があり、フランツは2人に比べると控えめな賞賛ではありましたが、大きな劇場では表情、仕草などまではなかなか伝わらないので仕方ないのかもしれません。歌い方がデノケとレシュマンが比較的譜面通りに美しく歌っているのに対し、フランツの歌い方が楽劇といった様相で、台詞を言うように途切れがちに聞こえるときがあったからかもしれません。

 最初から見れないであろうことは予想していたので、席は最上階の最後列で最後の幕だけの実演鑑賞でしたが、鑑賞できてよかったと思えた公演でした。

神々の黄昏・・・ Bayerische Staatsoper・・・2015/12/13 [オペラ]

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Musikalische Leitung Kirill Petrenko Inszenierung Andreas Kriegenburg

Siegfried Lance Ryan Gunther Markus Eiche
Hagen Hans-Peter König Alberich Christopher Purves
Brünnhilde Petra Lang Gutrune Anna Gabler
Waltraute Michaela Schuster Woglinde Eri Nakamura
Wellgunde Angela Brower Floßhilde Okka von der Damerau
1. Norn Okka von der Damerau 2. Norn Helena Zubanovich 3. Norn Anna Gabler
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 バイエルンリングは『ワルキューレ』と『ジークフリート』は以前鑑賞済み。今回の『神々の黄昏』で『ラインの黄金』以外は観たこととなりました。

 前2作の演出はその他大勢がセットを表現したり、精霊のように登場人物を助けたりして「みんなで創ろう」というコンセプトが見て取れましたが、この『神々の黄昏』ではそのコンセプトが一部引き継がれながらも、セットがガラスの近代的ビルの内部ということもあって無機質で冷たい印象が支配するものでした。冒頭から福島の映像が流れるのも重苦しく、原発、核に対する警告といった内容で、福島の原発事故は長い歴史からみれば一瞬の出来事であっても、決して忘れてはならないというメッセージをこめたものでした。原発や核が廃絶されないかぎり、作品が伝える警告は普遍的な意味を持ち続けるでしょう。原発問題以外にも机がユーロのマークで、それが崩壊するさまはギリシャ問題で危うい状況を表すなど、現代社会の問題を内包していて、前2作のような活力あふれる生き生きとした様とはうって変わった印象ではあったのですが、最後大勢の人たちがグートルーネを取り囲み、力を合わせて問題を乗り越えようという前向きな印象で終わるのが救いとなってました。

 歌手は脇が盤石といったところで、特にシュスターの巧さはまさに千両役者。決して浮くことなくツボを押さえた巧妙な演技もさることながら声の豊潤さは聴きごたえ満点でした。久しぶりに聴いたハーゲン役のケーニヒの存在感も体格同様重量級。ギュンターのアイチェもチャラ男のキャラ作りが上手く好演。そしてバイエルンを支える中村&ブラウアー&ダメラウのアンサンブルトリオの上質さも健在。

 主役二人は瓜坊と瓜子。
 ライアンはどこか垢抜けない歌い方が「ジークフリート」の演出では腕白感があって良いと思えたのですが、今回のような冷たい印象の演出では少々違和感を覚えるときもなきにしもあらず。しかし、前回も同様のことを書きましたが、声の印象を変えて歌うこともできる器用さもあり、田舎者が都会に出てきてオロオロしている様子などは垢抜けない歌い方も説得力があるのかもしれないと思えました。
 ラングはオルトルートがブリュンヒルデのマネをしているように思えることしばしば。これはオルトルートで聴きなれてしまったというこちらの問題なのかもしれません。

 ペトレンコ指揮の演奏は速めでしたが、聴いている間は決して速すぎるという印象はなく、要所を抑えた緊張感のあるものでした。

 ただ演出が冷たいガラスに囲まれたビルの内部という変化に乏しいものだったせいか、ジークフリートが死んだあとは不覚にもウトウトしてしまい、年取って疲れやすくなったのは否めないかと少々情けなくなった[猫]であります。

 まだ観てない『ラインの黄金』も機会があれば観てみたいものです。