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ドン・ジョヴァンニ・・Opernhaus Zürich・・2017/3/11 [オペラ]

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Musikalische Leitung Riccardo Minasi
Inszenierung Sebastian Baumgarten

Don Giovanni Simon Keenlyside
Don Ottavio Mauro Peter
Donna Anna Susanna Phillips
Komtur Wenwei Zhang
Donna Elvira Layla Claire
Leporello Adam Palka
Zerlina Olga Kulchynska
Masetto Krzysztof Baczyk
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 3月の旅行は古楽中心。ブラスチラヴァでヴィヴァルディの『アルシルダ』ボルドーでロッシの『オルフォ』を鑑賞するのが目的だったのですが、日本からの到着日に思わぬ棚ボタがありました。

 オリジナルのタイトルロールは7月にバイエルンで鑑賞した『ボエーム』で好演していたモルナールで楽しみではあったのですが、なんと病欠で代役はキーンリーサイド。キーンリーサイドのドンジョを聴くのは初めてで、おまけにこの日はスポンサー付きの公演でチケットがすごくお得な公演とあって、たった25CHF、3000円くらいで鑑賞できるなんて申し訳なくなるくらいのお得感でした。

 代役となったキーンリーサイドは6日にここチューリッヒでリサイタルを終えた後、7日に帰国したのですが、次の日の8日には連絡を受けチューリッヒにトンボ返り、3日間のリハでこの11日の公演に臨んだそうです。この公演は初演ではなく再演なのでリハの期間は初演ほど長くはないでしょうが、それでも普通でない演出なので結構大変だったかと想像します。

 ここはいつも開演の15分前に観客席に入れてもらえるのですが、既に舞台には映像が写し出されてました。全身ピンクの作業着に水色のエプロンをつけた大勢の人達が看板に文字をペイントしている映像で、書いてあることは『裁判所に行きます』とか『神を恐れよ』等々。この全身ピンクの人達はその後黒子のような役回りで時々舞台に登場するのですが、黒い衣装ではなくピンクなのでピン子。最後には大勢のピン子がうじょうじょと舞台に登場・・・などと書くと少々、いや大分イメージするものが違う方向に行ってしまうので、桃色ということで桃子と書くことにしましょう。最後は大勢の桃子たちが舞台に登場してセットをトットと片付ける様子は劇中劇の様相も呈してました。
 舞台は奥に教会のセットがあり、『裁判所』『神を恐れよ』などと書いてあったことも含めて、傍若無人の不道徳者に神の裁きが降りないわけがないという意図があったのは明白でしたが、奇妙さ満載の軽いノリで仕上げていたのがこの作品の悲劇的側面を抑える効果となり、ブッファであることを強調した面白さになってました。

 ドンジョのキャラクターは完全に奇人変人。冒頭は獣の着ぐるみでアンナを襲い、途中の白髪の姿はバックトゥーザフューチャーのドクを連想しましたが、大詰めの晩餐の場面では羊の角のついた被り物という出で立ちで、外見からして終始普通でない傍若無人ぶり。一方レポレッロは実直な執事といった真面目な外見で、なおかつ片足を引きずる姿には、奇人変人のご主人様にほとほと困り果てているけれども雇ってくれていることに恩義を感じているという設定。この2人のからみが面白く、自然な流れで途中レチをドイツ語で入れるという変化球にも上手さありました。
 奇妙な場面が多々ある演出である一方で、ミナージ指揮の演奏は控え目で上品だったのが絶妙なバランス。歌いながら演技も要求される演出で、そのため音楽だけ聴いていると普通と異なるテンポの変化もなきにしもあらずでしたが、演技を伴っているので違和感はありませんでした。
 ここぞというアリアはゆっくりと歌わせていて、良かったのはオッターヴィオのペーター。おおらかで柔らかな歌声は聴きごたえがありました。
 地獄落ちの演奏も思いの外あっさりと軽い印象だったのですが、その後、重唱の背後で全身ピンクの桃子達がそそくさとセットを片付け始めるという演出には合っていて、こんな不届きものの話なぞトットと片付けて帰ろう帰ろう!といった軽いノリには最後まで徹底したブッファの精神を感じてしまいました。

 カーテンコールでキーンリーサイドは労うように出演者一人一人の肩や背中をたたいてましたが、急な代役で大変なことがあってもやりがいもあったことでしょう。どんな演出であっても代役であってもフィットしてしまうのはさすが百戦錬磨のベテランであります。
 チームワークよく一つにまとまった公演にカーテンコールは賞賛に溢れてました。
 
 演出は凡庸でも難解すぎても到着日は睡魔に襲われるハメになることが多いのですが、奇妙な演出は脳に適度な刺激となって、到着日にもかかわらず全くウトウトすることなく楽しめた公演でした。

夢遊病の女・・Wiener Staatsoper・・2017/1/13 [オペラ]

DIRIGENT Guillermo García Calvo
REGIE UND LICHT Marco Arturo Marelli

Graf Rodolfo Luca Pisaroni
Amina Daniela Fally
Elvino Juan Diego Flórez
Lisa Maria Nazarova
Alessio Manuel Walser
Teresa Rosie Aldridge

 ユニコーンは姿を現さず、これでペガサスまで現れなかったら余程普段の行いが悪いということですが、しっかり姿を現してくれてホッとしました。もちろん見終わったあとはそれだけで満足感があったのは間違いありません。しかし、その後3月にも何公演か鑑賞すると1月に観た公演の中で最も印象が薄くなってしまったのはこの公演で、感想を書こうにも???

 それって、ただの痴呆じゃない?というのも否定できないのは情けないところではあるのですが、印象に残らないのはほとんど想定内の公演だったのが理由という感がなきにしもあらず。
 フローレスもピサローニもこれくらい歌えて当たり前。ファリーのコロラトゥーラがピッチが怪しいと感じる部分が少々ありながらも以前聴いたときよりも声の密度が高くなったようで、想像していたよりは良かったのですが、それでも新鮮な印象が残るというほどでもなく・・・・。
 バルトリの『チェネレントラ』でも同様の感想を書いたことがありますが、いくら素晴らしい歌手の人でも何回か聴いていると最初に聴いたときのような感動は得難くなってくるものです。

 そこで重要なのは演出であるのですが、スイスの雰囲気があって決して悪くはないけど面白くもないというのが正直なところ。
 ここウィーンは相変わらず演奏は上手いし、一流の劇場であることに何の疑いの余地はないのですが、保守的な演出ばかりで3日間も続けて鑑賞すると、当分来なくてよいかと思ってしまいました。取り組み姿勢といった面で、今時4回転ジャンプのない男子フィギュアスケートのような演出ばかりというのはいかがなものか?
 3日間続けてここで鑑賞したのが間違いだったのでしょう。
 それでもこういった普通の演出を好む人達は相当数いるので、このまま保守的な路線で存続する意義もあるのかもしれません。個人的には新国や予算のないイタリアだけで十分だと思うのですが・・・・。

 

 

死の都・・・Wiener Staatsoper・・2017/1/12 [オペラ]

DIRIGENT Mikko Franck
REGIE Willy Decker

Paul  Herbert Lippert
Die Erscheinung Mariens, Pauls verstorbener Gattin Camilla Nylund
Frank, Pauls Freund Adrian Eröd
Brigitta Janina Baechle
Juliette Simina Ivan
Lucienne Miriam Albano
Victorin Joseph Dennis
Graf Albert Thomas Ebenstein

 1月の旅行の目的はユニコーン(フォークト)&ペガサス(フローレス)。異次元ツアーといったところでしたが・・・ユニコーンは姿を現さず・・・・。
 改めてパウルという役は難役なのだと思い知らされたわけです。代役といっても引き受ける人を見つけるのは至難の業であろうことは想像に難くなく、代役を務めた人はウィーンのアンサンブルの人で、歌い通しただけでも立派なのかもしれません。
 『死の都』といえば喪失感に震災を思い出すのはパブロフの犬状態になってしまっているのですが、今回は思い浮かべてはいけないと思ってしまいました。終始[猫]を襲った喪失感はフォークトがいないという喪失感でしかなく、またいつか聴く機会もあるだろうという希望のある喪失感でしかありませんでした。
 
 演出は舞台奥にパウルの想像である空間がある分かりやすいものでしたが、マリーの遺髪は一部ではなくカツラのようで、そのためマリー役はスキンヘッドだったのが最初は少々違和感がなきにしもあらずでした。しかし、マリー役がスキンヘッドでも美しいニュルンドで、女優のようにも見える演出にはハマリ役でした。
 エレートはフランクとフリッツでは別人の趣で上手さは相変わらず。
 奥行と深みのある演奏は作品の美しさを伝えていて、またパウルに振られることがあったとしても懲りずに聴きに来ずにはいられないと思わされたのでした。

西部の娘・・・Wiener Staatsoper・・・2017/1/11 [オペラ]

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DIRIGENT Marco Armiliato
BÜHNENBILD Marco Arturo Marelli

Minnie Emily Magee
Sheriff Jack Rance Andrzej Dobber
Dick Johnson (Ramerrez) Aleksandrs Antonenko
Nick Carlos Osuna
Ashby Alexandru Moisiuc
Sonora Boaz Daniel
Trin Thomas Ebenstein
Sid Hans Peter Kammerer
Bello Igor Onishchenko
Harry Peter Jelosits
Joe Benedikt Kobel
Happy Clemens Unterreiner
Larkens Marcus Pelz
Billy Jackrabbit Ryan Speedo Green
Wowkle Ilseyar Khayrullova
Jake Wallace Orhan Yildiz
José Castro Orhan Yildiz
Postillion Wolfram Igor Dernt
 
 ウィーンに来た目的はフォークトの『死の都』&フローレスの『夢遊病の女』で、この日はオマケといえばオマケではあったのですが、アントネンコを聴くのは初めてということで楽しみではありました。

 2013年にプルミエだったはずの演出ですが、一体どこに新しさがあるのかと思うほどフツー。しかし、何か新鮮さを示したかったのか?最後ミニーとジョンソンが旅立つ乗り物が客席から笑いが漏れるようなもの。その後の幕引きがかなり重い演出であるだけに、この乗り物はいかがなものかと思わざるをえませんでした。
 
 アルミリアート指揮の演奏の鳴らしっぷりはたたみかけるような緊張感をもたらすものでしたが、反面、抒情的な印象は希薄で、ミニーの小屋で愛を確かめ合う場面も浪漫的というより、その後の切迫した状況への序章のような雰囲気でした。
 歌手の歌い方は歌うというより台詞を言うように途切れがちに聞こえ、楽劇といった様相を呈すものでしたが、たたみかけるような緊張感は迫真の演技を伴ってミニーとランスとのカードゲームの駆け引きでピークに達したというところでした。
 
 アントネンコは張りのある良い声でしたが、途切れがちな歌い方だったことで良いのか悪いのかわからないといった感あり、しかし以前同役で聴いたことがあるマギーも今回は途切れがちに歌っていたという印象だったので、アルミリアートの意図でそういった歌い方にしたのか?爆演でそういった歌い方をしたほうが楽だったのか?

 決して悪い公演ではなかったのですが、鑑賞する自分自身の心構えがオマケだったこともあって、オマケはオマケでした。
 
 

アルチーナ・・・Opernhaus Zürich・・・2017/1/10 [オペラ]

 今年に入ってからも2回遠征して7公演鑑賞しているのですが、既に忘却が進みつつあり、これ以上溜めるとまたとてつもなく書くのが面倒になる気がするので、これからは印象に残っていることを1公演ずつあげていこうと思います。
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Musikalische Leitung Giovanni Antonini
Inszenierung Christof Loy

Alcina Cecilia Bartoli
Ruggiero Philippe Jaroussky
Morgana Julie Fuchs
Bradamante Varduhi Abrahamyan
Oronte Fabio Trümpy
Melisso Krzysztof Baczyk

Orchestra La Scintilla
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 演出は劇中劇。アルチーナ、モルガーナ、ルッジェーロは役者さん。冒頭ドロットニングホルムやチェスキークルムロフのようなバロック劇場で当時のスタイルで歌うのがお洒落で可愛らしく、見た目も華やかな演出でした。モルガーナとメリッソはスーツ姿で現れ、共演者であるアルチーナの虜になってしまったルッジェーロを取り戻しにくるという設定。オベルトの場面はカットでしたが、全く不自然さはありませんでした。

 バルトリの公演はどうしてもバルトリに注目が集まってしまいがちですが、今回は他の歌手の人達がそれぞれ個性のある密度の高い声で技術的にも聴かせてくれたので、声だけに言及すると一番魅力に乏しいのはバルトリではないかと思えてしまったほど。しかし、弱音での繊細なコロラトゥーラには微妙な女心にホロリとさせられるものがあり、やはりバルトリは凄いと思わされたのです。
 ルッジェーロ役のジャルスキーは同役をエクスで聴いたことがあり、その時も良かったのですが、ベタッとした音響調整感で耳が疲れて不覚にも途中ウトウトしてしまったのでした。今回は到着日ではありましたが、途中ウトウトすることもなく濃密な声とアジリタを堪能させてもらいました。舞台センスもすごく良くてルッジェーロという役はハマリ役。後半の聴かせどころSta nell'Ircanaはダンサー達に交ざって体育会系ダンスや腕立て伏せをしながらも見事に歌い、すごく楽しい見せどころでもありました。ただし、どうしてもダンサー達の体育会系ダンスはバタバタと音がしてしまい、せっかくの聴かせどころなのに勿体なく、音をたてない体育会系運動にできないものかとも思ったのでした。

 他の出演者の人達も良くて満足感の高い公演で、カーテンコールは賞賛に溢れてました。
 


生存確認 [虫シリーズ]

 はい(・∀・)/ [猫]普通に生きてます。

 どうということでもないので無視してください・・・64・・・虫シリーズです。

 かなり長期にわたり、放置してしまいました。しばらくは観に行っても書くことに時間を取れない状況が続き、鑑賞した公演のキャストを入力するだけで放置してました。そういった状況が続くとブログに時間を割くこと自体がバカバカしいこととしか思えなくなり、どうでもよいことになってしまいました。しかし、バカバカしいことは嫌いでなく、むしろ好きなのが如何ともしがたい性分であります。

 昨年度末までに鑑賞した98公演(1公演はストによりキャンセル)を一気にアップしました。中には鑑賞後にメモを残した公演もありますが、ほとんど忘却のかなたといった公演もあり、賞味期限切れのしけた感想でしかないので、読んでも面白くないと思います。よって無視してください。虫でよろしくお願いします。98公演ともなると写真の整理だけでも大変で、書いては途中で嫌になり放置、また書いては放置を繰り返してました。

 特に印象に残った公演をいくつかここに挙げておきます。(演目クリック)
松風・・・STAATSOPER in SCHILLER THEATER・・・2015/7/12
ラインの黄金・・・JAHRHUNDERTHALLE BOCHUM・・・2015/9/16
ニュルンベルクのマイスタージンガー・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER・・2015/10/11

 また、ヴェルディはあまり興味がないのですが、そんな中でもこれは秀作と思ったのが次の2公演。
マクベス・・・Wiener Staatsoper・・・2015/10/10
マクベス・・・Opernhaus Zürich・・・2016/4/19

 鑑賞した公演は興味があって観に行っているので、ほとんどが満足感が高く、他にも挙げるときりがなくなってしまいますが、そんな中でも一番の忘れえぬ公演といえばボータ氏のおそらくは最後のオペラ公演以外ありません。
トゥーランドット・・Bayerische Staatsoper・・2016/7/7
 
 復帰を喜んでいただけに喪失感は大きく、完全復帰を信じて臨まれたのか、この公演を最後と覚悟して臨まれたのか、いずれにしても思い出しては胸が痛くなるのは禁じえずにいます。

 
 
 今年に入ってからも4公演ほど鑑賞してますが、それは追々・・・・といってもここまで書いただけで疲れてしまったので、また相当放置してしまうかもしれません。

 尚、相変わらずあらすじを調べる以外はほとんど予習なしで聴いてくるのですが、疑問だったことなどについて、ネット上に無償で学術的資料を提供している評論家の方々、愛好家の方々には大変ありがたく参考にさせていただいてます。特に御殿先生とオペラ対訳さま、ありがとうございます<(_ _)>

 また、なぜか放置していた間にアクセス数が100万を超えてしまいました。(ソネットはページアクセス数) 恐縮でございます<(_ _)>