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フィデリオ・・・Theater an der Wien・・・2016/6/20 [オペラ]

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Musikalische Leitung Marc Minkowski
Inszenierung und Bühne Achim Freyer

Leonore Christiane Libor
Florestan Michael König
Don Pizarro Jewgeni Nikitin
Rocco Franz Hawlata
Marzelline Ileana Tonca
Jaquino Julien Behr
Don Fernando Georg Nigl
1. Gefangener David Sitka
2. Gefangener Marcell Krokovay

Orchester Les Musiciens du Louvre
Chor Arnold Schoenberg Chor

 ウィーン芸術週間の公演です。

 オリジナルはチェルニャコフの演出だったのが、アキム・フライヤーに変更。その演出は人形劇風というより、人形劇。歌手が人形なのですが、これだったら本物の人形劇にして、歌手は脇でコンサート形式にしたほうが良いのではないかとも思われるもの。人形を作るより、歌手が人形になったほうが経費は節約できそうではあります。

 登場人物は全員仮面をつけたうえに着ぐるみのような衣装。
ロッコはマシュマロマンの体にジェイソンの仮面
フィデリオは白黒パンダ魔法使い
マルツェリンは露出狂娘
ヤキーノは競馬の騎手
ドン・ピサロがキャプテン・アメリカみたいな衣装の上に白いジャケット、仮面は子供が書いたウルトマンレオ
 まるでドン・ピサロがヒーローのような外見ではあったのですが、緑のムチを振り回し、出番でないときも出たり入ったり、俺様が悪だアピールに余念なしでした。

 セットはビルの建設工事現場の枠組足場のような3層構造で、登場人物それぞれ立ち位置が固定。下層に両手を左右に鎖で繋がれたフロレスタン、中層左からヤキーノ、ロッコ、マルツェリン、フィデリオ、上層左端にドン・ピサロ、中央にフェルランド。それぞれ回転式の壁や扉で背後に隠れたり表に現れたり・・・動く場所は決められていても常に舞台上にいなくてはいけないので歌手にとっては決して楽な舞台とはいえない上に、下層と上層は他のメンバーの様子もよく見えない孤独な状態で歌わなくてはいけないので結構やりにくい舞台ではないかと思えました。

 この演出で伝えたいことは何なのか?などと考える気もおこらなかったのですが・・・印象に残ったのは、とても生身の人間では表現できないほど残酷に見えたこと。フロレスタンが両手を繋がれている状態は両手が伸びきって完全に両肩脱臼状態。いかに人間が残酷になれるかということを伝えているようにしか見えませんでした。

 演出が意味不明でも音楽さえ・・・・というところですが、人形劇という演出が影響したか否か?本当にMLGが演奏してたの?という感じ。特に金管はどうしちゃったかな~~~~?どこのオケでも締まらないときもあるものだと改めて思うこととなりました。演出に合わせて一部セリフのカットあり、後半のレオノーレ演奏もなし。ミンコフスキは部分的に快速特急になることがありますが、今回は最後の重唱が快速運転。最終日でトットと終わらせちまおう的に聞こえてしまった感もなきにしもあらずですが、もちろんそんなことはないでしょう。

 歌手はそれぞれ好演。
 席が3階サイドの席だったので、上層で歌うドン・ピサロ役のニキーチンの生の声が真横からすごい迫力で耳に入ってきていたのですが、声は上に飛んでいくので、どうしても上で歌う人は下で歌う人より割りをくってしまいがち。平土間で聴いた人に尋ねるとやはりその通りだったとのこと。
 マシュマロジェイソン役、もとい、ロッコ役の人が暖かさのあるおおらかな感じで適役に思えたのですが、キャスト表を確認したらハヴラータ。オックス役で2回ほど聴いたことはありますが、全く異なる印象で、今回はこの人に意外性を発見。
 ケーニッヒは前回ローエングリンで聴いたときに演技がどうか?スタミナは?ということを機会があれば確認したいと思っていたのですが・・・・両手を縛られた着ぐるみの中でもがいている役だったので、確認しようがない演出でした。声は相変わらずピンと張りのある強さと、弱さとも取れるフワっとした優しさと両方を兼ね備えてましたが、スタミナ不足の懸念も全くない役なので、適役に思えました。

 終了後、即ブーが聞こえましたが、この演出では仕方なしかな?
 カーテンコールは賞賛のほうが多かったですが、『フィデリオ』を聴いたという実感が薄い公演ではありました。




神々の黄昏・・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER ・・・2016/6/19 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Guy Cassiers

SIEGFRIED Andreas Schager
GUNTHER Boaz Daniel
ALBERICH Jochen Schmeckenbecher
HAGEN Falk Struckmann
BRÜNNHILDE Iréne Theorin
GUTRUNE Ann Petersen
WALTRAUTE Ekaterina Gubanova
ERSTE NORN Anna Lapkovskaja
ZWEITE NORN Ekaterina Gubanova
DRITTE NORN Ann Petersen
WOGLINDE Evelin Novak
WELLGUNDE Anna Danik
FLOSSHILDE Anna Lapkovskaja
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 観にきて良かったと思える内容でありましたが、これだけのものを鑑賞すると他の公演が全てかすんでしまうので、いろいろ観るのも空しいかとも思えてしまったのでした。

 オケピはジークフリートと同様、上部が舞台側に湾曲した囲いあり。そして歌手はこの日も素晴らしいことこの上なし。結局のところ、バレンボイム先生の創りだすワーグナーの世界というのは演奏と歌手に一体感をもたらし、歌手を自然と活き活きと素晴らしく輝かせる結果になっているのだと再認識したのでした。

 テンポは1幕は遅めで2時間弱、2幕、3幕は中庸からやや早めといったところ。
 冒頭からして3人のノルンにグバノヴァとペテルセンを起用しての語りは圧巻。第2のノルンとワルトラウテは以前はマイヤーさまが歌っていたはず。マイヤーさまを引き継いだのはチーム・バレンボイムの一員であるグバノヴァ。ワルトラウテとしても清楚で真摯にブリュンヒルデに懇願するさまには、出番が終了した2幕後のカーテンコールでは観客からの賞賛の嵐。観客の反応にグバノヴァが驚き喜んでいる姿が印象的でしたが、いつもマイヤーさまが歌っていた役ということでプレッシャーはあったのかもしれません。
 ハーゲン役のシュトルックマンも遅めのテンポだからこそ生まれる言葉の力たるや物語のキーパーソンに相応しい凄みで圧倒的。
 ギュンター役のダニエルはウィーンを中心に活躍している人で以前イタリアもので聴いたことがありますが、ワーグナーで聴くのはお初です。体格がボリュームアップしたのはワーグナーを歌うようになったからでしょうか?おそらくバレンボイムの指揮で歌うのは初めてかと思うのですが、最初少々緊張ぎみに思えたのも真面目な性格のギュンターといった役作りで、イタリアものよりワーグナーのほうが合っていると思えた歌いっぷり。
 ペテルセンはエルダを歌った人とは同じ人とは思えない変身ぶりで、普通の純朴な女性というより少女に近い雰囲気で好演。
 シャーガーも『ジークフリート』のときのような天然ジークフリートではなく、物語どおり、記憶を失った別人のときもあり。
 テオリンの艶のある豊穣な歌声は終末を告げるのに相応しい風格といったものを感じるものでありました。

 スカラで『ラインの黄金』『ワルキューレ』を観たときのことを思い出せば、2作ではまちがいなく愛が存在してました。しかし、この演出が最後に伝えたのは『神々の黄昏』=『人間の黄昏』とならぬように・・・という警告。
 富と権力への欲望がもたらすものは破滅でしかないとでも示すように、降りてきた幕は津波に流される人々のようにも原爆投下後の地上にも見えたのでした。

 伝えていることの重さと終わってしまったという喪失感とが重なり、演奏が終了してもしばらく拍手は起こりませんでした。10秒くらい経ってから隣に座っていたおじさんがパチッと手をたたきました。しかし、それでも他の人からの拍手は続かず、おじさんは手を合わせたままフリーズ・・・・一呼吸おいて、一気に万来の拍手がわき起こったのでした。

 演出はほとんどコンサート形式といってもよいほど簡素なもので、セットなどは人間の手足のゼリー寄せのような階段とただの箱をいくつか寄せたもの。それでも終末へと向かう不穏な雰囲気があるだけで充分なのかもしれないと思えた公演でした。

 『ジークフリート』では時差がとれず、映像のチラツキにボーッとしてしまい、不覚にも温泉卵になってしまった[猫]でありましたが、時差に悩まされることなく無事に[猫]のワーグナー漬け神々の黄昏風味に仕上がったのでした。


スペードの女王・・・Nationale Opera & Ballet・・・2016/6/18 [オペラ]

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Muzikale leiding   Mariss Jansons
Regie   Stefan Herheim

Hermann   Misha Didyk
Graaf Tomski/Plutus   Alexey Markov
Vorst Jeletski   Vladimir Stoyanov
Tsjekalinski   Andrey Popov
Soerin   Andrii Goniukov
Tsjaplitski   Mikhail Makarov
Naroemov   Anatoli Sivko
Gravin   Larissa Diadkova
Liza   Svetlana Aksenova
Polina/Daphnis   Anna Goryachova
Gouvernante   Olga Savova
Masja   Maria Fiselier
Chloë   Pelageya Kurennaya
Ceremoniemeester   Morschi Franz

The Royal Concertgebouw Orchestra
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 ヘアハイムの演出、それもヤンソンス指揮RCOとなれば興味をそそらずにはいられません。

 ROHとの共同制作ということで予算は結構あったようで、セットはシャンデリアや鏡を駆使した素敵なものでした。
 ヘアハイムというとどこで何をやらかすか分からない意外性とファンタジックな面白さが魅力ですが、その辺はやはり保守的なROHとの共同制作ということがネックになったのか?比較的大人しく、少々肩透かしぎみだったといえないこともなし。
 もちろんヘアハイムらしい‘やらかし’が全くなかったわけではありません。詳細を書くことは控えますが、一幕最後にヤンソンスが観客のほうを向いて指揮してくれるとは思ってもおらず、ちょっと感動しました。ただし、観客がコーラスに促されて総立ちとなるのはいかがなものか?立つという動作は音楽に集中できなくなるし、背の低い人は何も見えなくなってしまって気の毒でした。

 この演出の主役はチャイコフスキー。さて、そこで思い出されるのがザルツの『マイスタージンガー』これを鑑賞したわけではありませんが、確かワーグナーが登場したはず・・・・。デュッセルドルフで鑑賞した『セルセ』は作曲した時代、場所を再現したようなセットでしたが、もしかするとヘンデルがいたの?などと思い起こしてしまいました。
 今後も作曲家ををクローズアップして登場させる演出を制作するのでしょうか?いずれにせよこれからもも注目すべき演出家であることは間違いありません。今回もチャコフスキーについてよく調べてあって、なるほどと思わされることは多々あり。チャイコフスキー役はエレツキー役も兼ね、ヘルマン役はチャイコフスキーが好意を持っている人物の役も兼ねてましたが、ヘルマン役がチャイコフスキーを見下すような場面が織り込まれ、チャイコフスキーが悩みながらこの作品を制作していることを表していたのは面白いアイデアです。それにもかかわらず、終わってみると肩透かしぎみに感じたのは、終わり方が’やはり’と想像できてしまったからかもしれません。

 歌手では演出上の主役チャイコフスキー&エレツキー役のストヤノフが歌う場面は多くないのにほとんど出ずっぱり、作品の主役ディディクもヘルマンとして悩んでいたと思ったら女王に変装してチャイコフスキーを嘲笑したりと強烈な印象を残し、この2人が好演していたのが印象に残りました。

 チャイコフスキーを主役にした演出とあってか、ヤンソンス指揮RCOの演奏は特に大袈裟なところはなく、作品の流れの美しさをそのままを大切にしたというところ。ただし、以前ここで『パルジファル』を聴いたときにも感じたことですが、音響のせいか否か?RCOの音は柔らかく、どちらかというとヘナチョコ系でした。もっともSKBのリングの間に聴いてしまうと、ほとんどのオケはヘナチョコ系に聞こえてしまうのは致し方なしではあります。

 カーテンコールは大変盛り上がってスタンディング・オベーションでした。

to touch – to kiss – to die - Englische Lieder von H. Purcell, N. Matteis, J. Dowland・・Globe Neuss・・2016/6/17 [コンサート・リサイタル]

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Valer Sabadus, Countertenor
Olga Watts, Cembalo
Axel Wolf, Laute
Pavel Serbin, Barockvioloncello
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 ベルリン・リングは15日と19日、その間16日と18日はすぐに鑑賞する公演は決まったのですが、この17日はどうするかと調べたところ、サバドゥスくんのH/Pでこの公演を発見。遠征の間一回は小さな劇場で古楽を聴いたほうが耳が休まることもあって、よい公演を見つけたと自己満足。

 デュッセルドルフの郊外、ノイスという町にあるグローブ座での公演です。グローブ座というと当然シェークスピアを上演するために造られたイギリスのグローブ座を思い浮かべますが、こちらのグローブ座はイギリスのグローブ座を模して作られたもので、オリジナルは木造建築だったそうです。現在は安全面を考慮し、鉄の壁で覆われ、内部の柱も鉄を使用してます。
 ちょうどこの時期、シャークスピア・フェスティバルが催され、主にシャークスピアの演劇が上演されるのですが、こうしてイギリスの古楽を楽しむ公演も盛り込まれていたわけです。
 非常に小さな劇場で気が付いたときは数席しか残ってなく、2階席の端の席でしたが、それでもチケットを入手できて良かったです。
 宿はデュッセルドルフでしたが、行き方をシェイクスピア・フェスティバルのH/Pで調べて行ったところ、トラムの停留所からグローブ座までが分かりにくく、停留所そばの売店で尋ね、途中で会った人に尋ねたりしてなんとかたどりついたというところ。我ながらよくここまで来たなと思いながらの鑑賞となりました。

 to touch – to kiss – to dieというのは同名のタイトルでCDも出してますが、人の一生を表したタイトルとのこと。この公演もおそらくCDの中からの抜粋ではないかと思います。

 途中大雨に見舞われ、鉄の壁にバラバラと雨が打ちつける音も伴奏の一つになっていた時間もわずかにありましたが、それも一興。
 こじんまりとした空間で、古楽器とサバドゥスくんの優しい歌声を堪能して素敵な時間を過ごした夜でした。

トロヴァトーレ・・・Deutschen Oper Berlin・・・2016/6/16 [オペラ]

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Musikalische Leitung Roberto Rizzi Brignoli
nach einer Inszenierung von Hans Neuenfels

Gräfin Leonora Angela Meade
Inez Rebecca Jo Loeb
Graf Luna Dalibor Jenis
Ferrando Marko Mimica
Azucena Dana Beth Miller
Manrico Carlo Ventre
Ruiz Burkhard Ulrich
Ein Zigeuner Hong-Kyun Oh
Ein Bote Sungjin Kown

 ありえないほどおぞましい内容である一方で、音楽は軽妙にオチャラケた部分もあるこの作品。数あるヴェルディの作品の中でも演出にいろいろ変化をつける余地があるのは魅力です。この公演は子供に話す怖い話といった趣あり、陳腐な発想もありでした。

 まずもって、ノイエンフェルスのキッチュな演出が面白すぎ!何が面白いって、バイロイトのねずみと同じく、この作品でもコーラスがやらかしてくれます。全員長い白鬚、黒頭巾、カボチャパンツという姿だけで十分にキッチュで面白いのですが、奇妙な恰好でウジョウジョと動くとまるで白鬚虫。
 最もハマったのがレオノーレの歌うDi tale amor・・・の場面。
舞台中央に馬の置物が置かれていて、レオノーレが乗馬をしながら歌っているという設定。当然置物の馬が走るわけはないので、その疾走感をだすために流れる背景の役割を果たすのがコーラスの白鬚虫たち。あるものは手を振りながら、あるものはピョコピョコと飛び跳ねながら左から右へと一人、また一人と流れるという超アナログな演出が可愛すぎる!!音楽自体がギャロップしたくなるような曲、これをブリニョリ率いるオケも実に軽快に演奏し、レオノーレ役のミードが気持ちよいほど正確に小気味よく歌うのも可愛いことといったらこの上なし。この場面だけでも鑑賞できた甲斐があったというものでした。

 数々の意味不明や突っ込みどころは・・・・何故ルーナとマンリーコが闘牛士のような恰好なのか?Torobadour,Treadore・・・・確かに似てるかも?などと一人ボケツッコミ状態。ルーナ伯爵の少年期やアズチーナの母親が焼かれてしまう場面などは背後で黙役が演じるのですが、それがほとんど学芸会。おまけにルーナ伯爵がレオノーレに迫る場面では牛の肉塊の中に裸の女体が隠れているような絵が背後にあって、肉欲そのまま。
 まるで悪のり学生の発想をそのまま大劇場のプロの公演でやっているような、徹底したアナログ手法の演出には一種の潔さを感じてしまいました。それでもルーナ伯爵が生まれつき足が悪く、父親から見放されて育ったという設定で、後をひくような悲劇に仕立てているのは悲劇として押さえるべきところは押さえているといったところ。
 
 歌手の人たちにはそれほど負担のない演出に思えましたが、どちらかというと女性歌手陣のほうが光ってました。
 唯一演技で変わった動きが必要だったのはアズチーナ役。そのアズチーナ役だけはアンサンブルの人のようで、すごく慣れた感じで好演してました。
 ミードはもっと大柄な人かと想像していたところ、背丈はそれほどでもなく、演出のせいもあって、正確に歌う様はまるでテープレコーダー内蔵のお人形さんのように可愛いという印象。
 イェニスは生まれつき足の悪い兄ちゃんで父親から疎まれて育ったという複雑な設定もあってか、傲慢な印象は希薄。結末は書かないでおきますが、本来のトロヴァトーレとは異なる哀れを誘ってました。
 ヴェントレはバカッパレのテノール声ではありませんが、荒々しい歌いっぷりで悪くなかったです。

 音響に不安のあるDOBですが、上手さなど不要、『トロヴァトーレ』の醍醐味である庶民的な演奏のドンチャカ感はバッチリでした。


ジークフリート・・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER・・・2015/6/15 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG  Daniel Barenboim
INSZENIERUNG  Guy Cassiers

SIEGFRIED Andreas Schager
MIME Stephan Rügamer
DER WANDERER Iain Paterson
ALBERICH Jochen Schmeckenbecher
FAFNER Falk Struckmann
ERDA Anna Larsson
BRÜNNHILDE Iréne Theorin
DER WALDVOGEL Christina Gansch

 2010年の6月に『ラインの黄金』12月に『ワルキューレ』、共にスカラで観てから早6年・・・・当然その間に行けるものなら行きたかったのですが、行くこと能わず・・・・・ようやく念願かなってスカラ・ベルリンリングの続きを鑑賞することができました。『ワルキューレ』と『ジークフリート』の間が開いたことは物語としてかえって自然ではありませんか?と、これまで行けなかったことを自分自身に納得させての鑑賞です。

 オケピは上部が舞台側に湾曲している覆い付き。壁側のバイオリンだけ床が少し高くなっているのはトリイゾやパルジファルのときと同じ。指揮のバレンボイムがオケピに入ってくるのは観客からは見えず、拍手なしで始まるのも同じでした。

 キャストは2010年からかなり変わっていて、ブリュンヒルデは火の中でお休みしていた間にいろんな意味でヴォリュームアップ。シュテンメからテオリンに。ローゲだったリューガマーはミーメに。アルベリヒはクレンツレがお休み中のためかシュメッケンベッヒャーに。ヴォータンはパーペ→コワリョフ→パターソン

 この歌手が全員素晴らしかった!
 特にタイトルトールのシャーガーはそのまんまジークフリートというか、天然ジークフリート。
そんなに声を張らなくても小さな劇場だから十分なんですけど・・・・と他の人から言われたことがあるに違いないと思うのですが、3歩あるいたら忘れちゃうタイプ。いや、3歩歩かなくても3小節歌ったら忘れちゃうタイプ。
 しかし、それこそがジークフリート!
 それにちょいと一本調子と言えないこともない。
 それこそがジークフリート!と納得してしまう天然の奔放さ。
 姓は天然、名はジークフリート、ってことで、シャーガーのニックネームは天然くんに決定。スタミナの心配など全くなし。そんなの当然さ、だってオイラはジークフリートだぜ、てなところでカーテンコールでも余裕でニコニコ。

 テオリンのブリュンヒルデもシャーガーの声の張り上げにつられてなのか?やはりそこまで張らなくても・・・という部分はありましたが、濃厚な声はSKBの音に合って素晴らしい出来。

 演出は前2作よりも簡素になった印象だったのは、いかにも共に資金調達が厳しかったスカラとの共同制作というところ。『ラインの黄金』ではあっても『ワルキューレ』ではなかったダンスが再登場してましたが、違和感はありませんでした。考えてみると2010年当時は珍しくて違和感のあったダンスも最近は取り入れる公演が多く、慣れというのもあるのかもしれません。

 リンデンではいつもワーグナー漬けになる[猫]でありましたが、今回は天然ジークフリート温泉で湯あたりしたようなボーっとした感覚になってしまいました。時差は調節するのが年々難しくなり、到着した次の日でも公演途中で少々辛くなってしまったのは情けないところでしたが、背景のチラチラした映像の睡眠誘導効果は侮れないものでした。

 ワーグナー漬けというよりも天然ジークフリート温泉名物、温泉卵になったような感覚で帰路につきました。←なんじゃらほい?



スペードの女王・・・Opernhaus Zürich・・・2016/6/14 [オペラ]

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Musikalische Leitung Stanislav Kochanovsky
Inszenierung Robert Carsen

Tschekalinski Martin Zysset
Surin Dimitri Pkhaladze
Graf Tomski Roman Burdenko
Hermann Eduard Martynyuk
Fürst Jeletzki Brian Mulligan
Lisa Oksana Dyka
Gräfin Doris Soffel
Polina Judith Schmid
Mascha Hamida Kristoffersen
Gouvernante Judit Kutasi
Tschaplizki Iain Milne
Narumov Bastian Thomas Kohl
Festordner David Margulis

 6月の旅行はベルリンでスカラ・ベルリン・リングの続きを鑑賞することが第一の目的。ついでにチューリッヒとアムステルダムの2か所で『スペードの女王』&DOB『トロヴァトーレ』&デュッセルドルフ近郊のノイスにあるグローブ座でした。
 このチューリッヒは到着日、こちらの『スペードの女王』はミハイル・ユロウスキ&カーセンなので興味津々であったのですが、ご高齢で体調がよくないのでしょうか?知らない間にユロフスキから弟子のコチャノフスキに変更になってました。それでも最近あちこちで売り出し中といった指揮者ですから、違った楽しみに変わったというところです。

 カーセンの演出はいかにも低予算。集金能力抜群のビジネスマン、ペレイラ氏が去って資金面では厳しくなってしまったのは致し方なし。しかし、低予算だから悪いとは限りません。
 緑を基調とした壁面に囲まれた空間は全幕通してかわらず、椅子やテーブル、ベッドなどを変えることでカジノや邸内に変更するだけでしたが、同じ壁面に囲まれていることが閉塞感をもたらし、時にまるで手品のように人が現れたり消えたりするのも面白い演出でした。仮面舞踏会のバレエシーンなどはカットでしたが、閉塞感のある演出にはカットのほうが自然と納得でした。

 演出がシンプルだった一方で、歌手の歌い方は3枚のカード「три карты」という言葉を強調していたのが印象的で、指揮者のコチャノフスキをはじめロシアやウクライナ出身の歌手陣の言葉へのこだわりにも思われましたが、確かにこの言葉こそ物語におけるキーワードであり、音楽としても効果的なアクセントになって緊張感をもたらす要因となってました。

 歌手陣で賞賛が大きかったのはヘルマン役、リーザ役の他、「три карты」を上手く協調していたトムスキー役とエレツキー役。伯爵夫人役のゾッフェルもベテランの上手さを発揮していた上に美しく、話の信憑性として大いに納得できる好演でした。
 ただリーザ役のディカが声がよく出すぎというか、チューリッヒのサイズでは強すぎ、迫力ありすぎで少々浮いていると感じてしまいましたが、それもスカラで聴いたアメーリアのときのほうが美しく馴染んでいたような気がするというだけのことかもしれません。
 そういえば、スカラで聴いたことのあるソプラノを他の劇場で聴いて、スカラで聴いたときのほうが美しい声だったと感じるのはこれで3回目です。全てたまたまスカラで歌ったときのほうが調子よかったというだけなのか?そうではなく、スカラは素のままの美しい声を聴ける劇場だと思うのです。