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神々の黄昏・・・ Bayerische Staatsoper・・・2015/12/13 [オペラ]

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Musikalische Leitung Kirill Petrenko Inszenierung Andreas Kriegenburg

Siegfried Lance Ryan Gunther Markus Eiche
Hagen Hans-Peter König Alberich Christopher Purves
Brünnhilde Petra Lang Gutrune Anna Gabler
Waltraute Michaela Schuster Woglinde Eri Nakamura
Wellgunde Angela Brower Floßhilde Okka von der Damerau
1. Norn Okka von der Damerau 2. Norn Helena Zubanovich 3. Norn Anna Gabler
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 バイエルンリングは『ワルキューレ』と『ジークフリート』は以前鑑賞済み。今回の『神々の黄昏』で『ラインの黄金』以外は観たこととなりました。

 前2作の演出はその他大勢がセットを表現したり、精霊のように登場人物を助けたりして「みんなで創ろう」というコンセプトが見て取れましたが、この『神々の黄昏』ではそのコンセプトが一部引き継がれながらも、セットがガラスの近代的ビルの内部ということもあって無機質で冷たい印象が支配するものでした。冒頭から福島の映像が流れるのも重苦しく、原発、核に対する警告といった内容で、福島の原発事故は長い歴史からみれば一瞬の出来事であっても、決して忘れてはならないというメッセージをこめたものでした。原発や核が廃絶されないかぎり、作品が伝える警告は普遍的な意味を持ち続けるでしょう。原発問題以外にも机がユーロのマークで、それが崩壊するさまはギリシャ問題で危うい状況を表すなど、現代社会の問題を内包していて、前2作のような活力あふれる生き生きとした様とはうって変わった印象ではあったのですが、最後大勢の人たちがグートルーネを取り囲み、力を合わせて問題を乗り越えようという前向きな印象で終わるのが救いとなってました。

 歌手は脇が盤石といったところで、特にシュスターの巧さはまさに千両役者。決して浮くことなくツボを押さえた巧妙な演技もさることながら声の豊潤さは聴きごたえ満点でした。久しぶりに聴いたハーゲン役のケーニヒの存在感も体格同様重量級。ギュンターのアイチェもチャラ男のキャラ作りが上手く好演。そしてバイエルンを支える中村&ブラウアー&ダメラウのアンサンブルトリオの上質さも健在。

 主役二人は瓜坊と瓜子。
 ライアンはどこか垢抜けない歌い方が「ジークフリート」の演出では腕白感があって良いと思えたのですが、今回のような冷たい印象の演出では少々違和感を覚えるときもなきにしもあらず。しかし、前回も同様のことを書きましたが、声の印象を変えて歌うこともできる器用さもあり、田舎者が都会に出てきてオロオロしている様子などは垢抜けない歌い方も説得力があるのかもしれないと思えました。
 ラングはオルトルートがブリュンヒルデのマネをしているように思えることしばしば。これはオルトルートで聴きなれてしまったというこちらの問題なのかもしれません。

 ペトレンコ指揮の演奏は速めでしたが、聴いている間は決して速すぎるという印象はなく、要所を抑えた緊張感のあるものでした。

 ただ演出が冷たいガラスに囲まれたビルの内部という変化に乏しいものだったせいか、ジークフリートが死んだあとは不覚にもウトウトしてしまい、年取って疲れやすくなったのは否めないかと少々情けなくなった[猫]であります。

 まだ観てない『ラインの黄金』も機会があれば観てみたいものです。


炎の天使・・・ Bayerische Staatsoper・・・2015/12/12 [オペラ]

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Musikalische Leitung Vladimir Jurowski
Inszenierung Barrie Kosky

Ruprecht Evgeny Nikitin Renata Svetlana Sozdateleva
Schenkwirtin Heike Grötzinger Wahrsagerin Elena Manistina
Agrippa von Nettesheim Vladimir Galouzine Mephistopheles Kevin Conners
Äbtissin Okka von der Damerau Faust Igor Tsarkov
Inquisitor Jens Larsen Jakob Glock Christoph Späth
Mathias Wissmann Tim Kuypers Doktor Matthew Grills
Knecht Christian Rieger Schankwirt Andrea Borghini
Junge Nonne 1 Iris van Wijnen Junge Nonne 2 Deniz Uzun
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 12月の旅行のオカルトもの第3弾。話の内容が憑りつかれたプッツン少女ものなので、全ては想像ということにすれば何でもあり、矢でも鉄砲でももってこい!です。

 最初から最後まで、ホテルの一室という設定の中、アグリッパ登場場面の奇妙さで既にこれは想像だろうということは勘付いてました。その奇怪な様は[猫]だけでなく、多くの観客が同様に感じたに違いないと思えるほど。
 こういった演出の場合、最後になってやはり想像だったと分かったときの感想は
なーんだやっぱり・・・・・というときと、想像でよかったとホッとするときの2通りあります。
 今回は後者でした。2人だけが舞台に残ったとき、悪夢に飲み込まれないでよかったと緊張から解き放たれた解放感がそのまま満足感につながってました。

 それくらいインパクトのある奇怪な演出で、想像場面の登場人物はそれぞれ強烈な個性のキャラクター設定であるにもかかわらず、歌手はそれぞれ見事に演じた一方で、主役2人はあくまで自然体。このバランスこそが悪夢に飲み込まれるのではないかという緊張感になってました。憑りつかれた少女と、その少女に翻弄されながらも寄り添う男を2時間以上出ずっぱりで演じきった迫力は観客に称賛されて当然といった内容でした。

 もう一つのバランスの妙は演出と演奏のバランス。少々やりすぎと思う人もいるかもしれないというほど強烈な演出の一方で、ユロフスキの音楽創りは主役2人と同様に自然体。唖然とするほど誇張した演出に対し、必要以上に誇張しない演奏は公演を品よく緊張感を保っていた要因に思えました。

 演出家のコスキーはコーミッシュオパー・ベルリンで活躍しているそうですが、ペトレンコも同じコーミッシュ出身ということを考えると、今や源流はコーミッシュかと、未だ行ったことがないコーミッシュに行かなくてはという考えがフツフツと湧いてきてしまう内容でした。特にアグリッパの場面で何人ものダンサーが色とりどりの美しいドレスを身にまとい、まるでムンクの「叫び」のごとく開いた口が塞がらないといった状態でゾロゾロと登場する様は、こちらまでムンクの「叫び」状態になりそうなくらいの奇怪さがありながらも芸術的と言わざるを得ないインパクト。
 また、この演出はよく練った最終案であろうことは想像に難くないという一方で、悪夢のような場面、アグリッパ、ファウスト&メフィストフェレ、修道院の場面などはそれぞれ変更可能な面白さもあるかな?とも思えるもの。
 さらに最後も2人残るのではなく、
ルプレヒトだけ残った場合・・・全てはルプレヒトの想像
レナータだけ残った場合・・・全てはレナータの夢
誰も残らなかった場合・・・これが一番怖い・・・・しかし、全ては観客の想像でしょうか?などと要らぬ想像にまで及んでしまうような、観る者が想像を膨らませることができる演出でもありました。

 しかし、考えてみると想像とはいっても2人がシンクロして想像していたというのも不自然。途中音楽が途切れ、主役2人が舞台上で着替えたり、机の位置を自ら動かしたりするときがあったことを思い返すと、舞台俳優がホテルの一室で2人だけでリハーサルをやっている状況で、想像場面だけは実際の舞台で表現したのかも?とも思えたのですが、いずれにせよ鑑賞している間は緊張感に満ちて満足感の高い公演でありました。

 コメディでなければ緊張感は重要です。それは、いかに公演に集中させてもらえるかということです。新鮮な驚きを与えながらも芸術性を失わない演出、それを具現化できる歌手、演出とバランスのよい音楽。
 これぞ本場の醍醐味!でありました。

ランスへの旅・・・OPERNHAUS ZÜRICH・・・2015/12/11 [オペラ]

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Musikalische Leitung Daniele Rustioni
Inszenierung Christoph Marthaler

Corinna Rosa Feola
La Marchesa Melibea Anna Goryachova
La Contessa di Folleville Julie Fuchs
Madama Cortese Serena Farnocchia
Il Cavaliere Belfiore Edgardo Rocha
Il Conte di Libenskof Javier Camarena
Lord Sidney Nahuel Di Pierro
Don Profondo Scott Conner
Il Barone di Trombonok Yuriy Tsiple
Don Alvaro Pavol Kuban
Don Prudenzio Roberto Lorenzi
Don Luigino Spencer Lang
Maddalena Liliana Nikiteanu
Modestina Rebeca Olvera
Delia Estelle Poscio
Zefirino Iain Milne
Antonio Ildo Song
Günter Bröhl Marc Bodnar
Carlo Enzio Scrittore Raphael Clamer
Madama Diedenhofer Altea Garrido
Signora Gemello-Fraterno Evelyn Angela Gugolz
Signora Gemello-Identico Ilona Kannewurf
Barone Tensione del Collo Sebastian Zuber
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 舞台は現代。ワールドカップのトロフィーにそっくりなものが出てきたので、戴冠式というのは優勝トロフィー授与式のように置き換えられ、各国の貴族はユーロ各国委員代表といったところでした。
 冒頭はホテルの朝食、音楽が始まる前にその他大勢がゆで卵とスプーンをもち、スプーンで卵をたたいてリズムを刻むという演出はなかなか面白そうではあったのですが。。。。。。。

 マルターラーという演出家は2人。2人の作品はそれぞれ1度づつ観たことがあって、一人はザルツで「マクロプロス事件」もう一人はここチューリッヒで「ウィリアム・テル」でした。今回のクリストフ・マルターラーは前者で、黙役の人たちが歌手が歌っていようがお構いなく舞台の隅で意味ありげにウロウロするという、いわば少々鬱陶しい手法は今回も同じでした。
 例えば、フォルヌヴィル伯爵夫人が衣装が届かないと歌っている場面では、黙役の一人が舞台脇にあるプールで具合が悪くなり、伯爵夫人のことは皆そっちのけで病人の看病にあたる。つまり、伯爵夫人がいかにどうでもよいことをブツブツ言っているかということを強調する演出というわけ。
 しかし、この手法・・・・せっかく見に来たのに、もっと大切なことをを思い起こさせるだけ。こんなことしている場合なのか?呑気にオペラ鑑賞している場合か?歌手がどうのこうのとか演出があーだこーだとかピーチクパーチク言うこと自体バカバカしいことじゃないか?とまで考えてしまった[猫]の頭の中はシラケ鳥が飛びまくってしまう始末。
 「マクロプロス事件」のときはウロウロする人数も少なく、300年生きたデノケの圧倒的な力でウロウロもそれほど気にならなかったのですが、この作品はもともと登場人物の多い喜劇で落ち着かない上に黙役でウロウロする人数の多さもあって鬱陶しいことといったら。。。。。ウロチョロウロチョロウロウロチョロチョロ。。。。この演出で良い点は歌手はほとんど動かずに歌に集中できるということくらい。ということでウロチョロ虫である黙役はなるべく虫、無視。

 歌手の人たちはここチューリッヒでおなじみの人たちが多く、歌に集虫とあって皆イイ感じ。
 カーテンコールで最も賞賛を受けていたのはコリンナ役のフィオーラとフォルヌヴィル伯爵夫人フックス。
 もちろんカマレナの賞賛もこの2人に負けず劣らず。相変わらずアジリタはアバウトで鼻歌ぎみではあっても、パーンと張りのある高音は人を惹きつける魅力あり。
 もう一人のテノールがこれまた良くてアジリタなどはカマレナより上手なくらい。キャスト表でチェックしたらスカラでイアーゴを歌ったロチャ!コメディーとあって雰囲気が大分違って見えてすぐには気づきませんでした。派手さはないのですが、その実力はスカラに引き続き納得させられました。

 ルスティオーニといえば、流れの美しさにスカラで初めて聴いたときには好印象でしたが、鬱陶しい演出のためか?全体の流れのよさはあっても、スカラで聴いたときほどよいとは思いませんでした。オケも違うし、二回目となれば鑑賞する側もハードルがどうしても高くなってしまうものです。

ファウスト・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER・・2015/12/10 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG Simone Young
INSZENIERUNG Karsten Wiegand

FAUST NACH DER VERJÜNGUNG Pavol Breslik
MÉPHISTOPHÉLÈS René Pape
VALENTIN Alfredo Daza
MARGUERITE Tatiana Lisnic
SIÉBEL Marina Prudenskaya
MARTHE SCHWERDTLEIN Constance Heller
FAUST VOR DER VERJÜNGUNG Stephan Rügamer
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 一昨日に続き、オカルトもの第2弾。グノーの「ファウスト」を鑑賞するのは初めてですが、なんですか?この作品。というのは、音楽自体が前半と後半で大きく印象が異なるのが良いのか悪いのか?この作品が発表された当時は大変な人気だったそうで、ショーのような踊りもあるグランドオペラということなのでしょうが、古臭い印象は否めませんでした。演出も音楽に合わせて前半はショーのような踊りがあったり、マルグリートの家の場面などは童話のようなかわいらしさがあって、コメディーのような明るさがあるのに対し、後半になると銀色の壁に覆われただけの何もない舞台で異様にシリアスで暗い印象となりました。しかし、ヴァルプルギスの場面ではまたコミカルになったり・・・変化に富んで飽きないし悲劇性を強める効果なのかもしれませんが、個人的にはショーのような部分が違和感を感じてしまう作品でした。ただ終始一貫してメフィストフェレが人を食ったような少々コミカルな演技で、全てはメフィストフェレの手の内であり、真の主人公はメフィストフェレといった印象が残ることが面白さと言えないこともありません。

 しかし、今回の演出の幕切れは後をひくもので、途中がどんな演出でも、最後にインパクトがある演出というのは悪くないという感覚になりました。マルグリートの死に際、銀色の壁が割れて目の前に現れたのは悪魔の最後の晩餐。最後の晩餐なのですから悪魔が滅びるということなのでしょうが、悪魔たるもの最後まで悪魔というメフィストフェレの様相が、なんとも救済感が希薄で悶々とした後味を残す演出でした。

 またファウスト役を年老いたファウストと若いファウストの2人登場するもの珍しいものですが、年老いたファウスト役はまたマツーラご出演かと思ってしまった外見。もちろんマツーラではなく、リューガマーでしたが、フランス語がやたら上手く聞こえ、たまたま臨席の人がフランスから来たひとだったので、ディクションについて聞いてみたところ、リューガマーとパーペはフランス語が上手だけど、他の人達はちょっと違う感じ。でもここはフランスじゃないんだから気にすることはないのよ、とのこと。もちろん[猫]もフランス人ではないので、ほとんどそんなことは気にせず鑑賞してましたが、歌手は総じてよく、演奏も文句なしで満足できました。
 考えてみると指揮者のヤングもファウスト役のブレスリクも元リンデンの一員ですから以心伝心、マルグリート役のリズニックも1年前にここリンデンで同じプロダクションを歌っているのですから慣れているのでしょう。一体感を感じる公演でした。
 数年前からリンデンのアンサンブルになったプルデンスカヤですが、ヴェーヌス役を聴いて良い人がまたアンサンブルに加わったと嬉しく思ってました。ただ今回のジーベル役だと歌は文句なしでも演技が少々ぎこちないような・・・・・特に他のメンバーの人達が自然体で上手いので少し気になってしまいました。

 さて、本来休憩は一回なのですが、マルグリートの家の場面になったところで、指揮のヤングが急に演奏を止めるので、何事かと思ったところ、係り員が出てきて、技術的な問題で中断しますとのこと。しばらくするとまた同じ人が出てきて、時間がかかるとのことで休憩になってしまいました。仮小屋での上演は技術的にさまざまな困難にぶつかるのでしょう。リンデンの再開が待ち遠しいものです。


トゥーランドット・・Theater Duisburg・・・2015/12/9 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG Wen-Pin Chien
INSZENIERUNG Huan-Hsiung Li
TURANDOT Linda Watson
ALTOUM Bruce Rankin
TIMUR Sami Luttinen
KALAF Zoran Todorovich
LIÙ Brigitta Kele
PING Bogdan Baciu
PANG Florian Simson
PONG Cornel Frey
MANDARIN Daniel Djambazian
PRINZ VON PERSIEN Hubert Walawski
TÄNZERIN Yi-An Chen
ORCHESTER Duisburger Philharmoniker
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 旅行中、上手い具合に観たい公演が毎日続くということは滅多になく、この日は何を観ようか?と考えることはしばしばあるものです。
 12月の旅行ではこの日で、パリからベルリンまでの途中が便利ということが一番にあったわけではありますが、この公演は高雄の芸術センターとの共同制作ということで、演出、指揮ともに中国の人だったことが興味を引いたのでした。日本人がバタフライを観たとき、なんか変じゃない?と思うことがあるように、中国の人たちも異国の人の演出に違和感を感じるときもあるでしょう。中国の人による中国の話はいかに?

 演出は現代に生きる少女がタイムスリップしたという設定で、NHKのタイムスクープハンターの趣。少女は民衆の間でオロオロと事の成り行きを心配そうに見ていたり、目の見えないティムールの手助けをしたり。2幕冒頭のピン、ポン、パンは逆に現代にタイムスリップしたかのような衣装でしたが、これは歌詞どおり、夢を見ていたということ。さらには皇帝が常にチャップリンのような衣装だったことで、タイムスリップしているのは観ている観客のような気もしてきました。

 民衆は全員遊牧民のような白っぽい簡素な衣装である一方で、主要登場人物の衣装は凝っていて、トゥーランドットの衣装たるやこれぞ見どころとばかり豪華絢爛。予算の半分以上はトゥーランドットの衣装ではないかと思うほどでした。

 音楽面で印象に残ったのは、見事な鳴らしっぷりでアリアの後も拍手の余地を与えることなく一気に演奏してくれたことで、作品全体の流れの美しさを堪能できました。ドイツでも大きな劇場では難しいことかもしれませんが、ここドゥイスブルクの劇場は1118席とこじんまりとした劇場なので可能だったかもしれません。さすがに『誰も寝てはならぬ』ではブラヴォーと拍手が一部から出てましたが、それもすぐに止みました。

 オケの鳴らしっぷりが見事でも、こじんまりとした劇場で歌手の声がかき消されることはなく、歌も充分に堪能できました。
 ウィーンでは急な代役でエレクトラを歌ったワトソンですが、このタイトルロールは完全に自分のものとしているに違いなく思え、遠目で鑑賞していても心情の変化が分かる好演でした。

 終演後、外へ出ると観光バスが2,3台止まっていたのには少々驚きましたが、演出が奇抜すぎず、観光客にとっても理解しやすいということでツアーに組み込むのに良い公演なのかもしれません。




青髭公の城・人の声・・・Palais Garnier・・・2015/12/8 [オペラ]

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Bluebeard's castle
Music Béla Bartók Libretto Béla Balazs Sung in Hungarian
Conductor Esa-Pekka Salonen Director Krzysztof Warlikowski
Le Duc Barbe-Bleue John Relyea Judith Ekaterina Gubanova

La Voix humaine
Music Francis Poulenc Libretto Jean Cocteau Sung in French
Conductor Esa-Pekka Salonen Director Krzysztof Warlikowski
Elle Barbara Hannigan
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 『青髭公』は聴いてみたいと以前から思っていて、クレンツレ出演予定だったので早々にチケットを購入したところ、病気でキャストチェンジ・・・・。すごく存在感のある名歌手なので、また元気に活躍してくれることを祈るばかりです。

 代役のレリエは深い声と風貌が役に合ってました。
 グバノヴァはワグナーではチーム・バレンボイムの一員なので何回か聴いてますが、ユディット役でも心情の変化がはっきりと伝わり、最初は自信たっぷりだったのが、徐々に不安にかられ、最後は金縛りにあったように引き込まれていく様子が見事に表現されてました。

 ワリコフスキの演出は非常に分かりやすいもの。青髭公は手品師で、演奏が始まる前に助手に扮したハニガンを宙に浮かせたり、鳩を布から取り出したりと手品を披露してから始まりました。7つの部屋は透明なボックスの中にそれぞれの意味を持つものが入って、ひとつひとつ横にスライドして出てくるのですが、演出のポイントは6つ目の『涙の湖』でした。中にはうつむきがちで虚ろな目をした少年が一人。ワリコフスキは子供を上手く使うことが多いので、またしても子供に絆されたという感はあるのですが、この少年の演技が非常に上手く、青髭公の子というより、青髭公自身であり、恐ろしいほどの孤独が異常な独占欲を育てたかのような印象を観客に与えるものでした。

 青髭公が終了後休憩があると思いきや、後方から拳銃をもったハニガンが放心状態でふらふらと現れ、そのまま『人の声』が始まりました。
 ハニガン演ずるエルが最前方までくるとやがて背後にスクリーンが下り、映し出されるのは舞台上方のカメラでとらえたエルの映像で、まさに一人舞台。涙で化粧が落ち、目の周りを真っ黒にして歌う迫真の演技に、この演出方法で遠くの観客まで釘づけ状態でしたが、スクリーンが上がると一転、生々しい痛みを観客は目の当りにすることになりました。
 
 サロネン指揮の演奏にはエクスの『エレクトラ』同様、一種の清涼感、透明感があり、ハニガンの声質もおよそ生々しさとは無縁な印象ですが、演出と重なって身体の芯までクールになった公演でした。



捨てられたディドーネ・・ Rokokotheater Schloss Schwetzingen・・2015/12/7 [オペラ]

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Musikalische Leitung Wolfgang Katschner
Regie Yona Kim

Dido Rinnat Moriah
Aeneas Kangmin Justin Kim
Jarbas Terry Wey
Selene Elisabeth Auerbach
Araspe Namwon Huh
Osmidas Polina Artsis
Statisterie des Theaters und Orchesters Heidelberg
Philharmonisches Orchester Heidelberg
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 耳が虚弱体質の[猫]は小さな劇場で古楽を聴くことの心地よさが忘れられず、旅行中一度は聴きたいと思って調べてみると、テリー・ヴァイのH/Pでこれを発見し、フランクフルト空港から遠くないことが分かったので到着日に行ってきました。

 この公演はハレのヘンデルフェスでゲーテ劇場でも上演されたものです。

 『捨てられたディドーネ』はメタスタージオの台本で五十作以上作曲されたそうですが、今回はヘンデルとヴィンチによるパスティッチョです。ヴィンチによる十三のアリアとジャコメッリ、ヴィヴァルディ、ハッセ等の作曲家の九つのアリアを寄せ集めた作品だそうです。作品として音楽のつなぎが不自然と思わなくもない部分もありましたが、瀟洒なロココ劇場で聴く音楽の心地よさは旅の疲れを癒すのは最高でした。

 演出はシンプルでスタイリッシュ。シンプルすぎて寂しいくらいでしたが、悲劇であるこの作品には合っていました。

 冒頭から出演者全員が舞台にいたのですが、テリー・ヴァイの姿がない・・・と思ってしまったくらい「セルセ」では可愛かったアルサメーネの面影なし。男性3人のうち2人が東洋系だったので、残りのヒゲの人?!?!今回はムーア人の王の役ということで、変われば変わるものだと感心することといったら、これまでも他の人達で何回かあったこととはいえ、舞台人は本当に面白い。今回アジリタなどの技術を最も要する役はこのテリー・ヴァイの演ずるイアルバス。他の役の人に比べてしまうとアジリタが多い分、声量といった面では損してましたが、アジリタ三昧は見事でした。
 エネアス役のCT、キムは遠目でみていると嵐の大野くんをもっと逞しくしたような雰囲気で、アジリタを駆使した歌声もキレと逞しさがあり、見た目も歌いっぷりも男前!ディドが惚れ込んでしまうのも納得の格好良さでした。
 他の出演者は皆ハイデルベルク劇場のアンサンブルのようでしたが、ディドーネ役の人が遠目でみているとハルテロスのような品格のある容姿で、コントロールされた弱音が美しく、素敵でした。
 他の出演者も想像以上によくて、ハイデルベルクのような小さな地方劇場でもよいアンサンブルメンバーがいるものだとドイツの歌手の層の厚さをまたまた実感したのでした。


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 次の日お城の庭を散歩。霧の中のシュヴェツィンゲン城です。