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ポッペアの戴冠・・・Theater an der Wien・・2015/10/12 [オペラ]

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Musikalische Leitung Jean-Christophe Spinosi
Inszenierung Claus Guth

Ottone Christophe Dumaux
Ottavia Jennifer Larmore
Nerone Valer Sabadus
Poppea Alex Penda
Seneca Franz-Josef Selig
Drusilla Sabina Puértolas
Nutrice, Ottavias Amme Marcel Beekman
Arnalta, Poppeas Amme José Manuel Zapata
Fortuna Frederikke Kampmann
Virtù | Pallade Natalia Kawalek
Amore | 1. Famigliare Jake Arditti
Damigella Gaia Petrone
Valletto Emilie Renard
Lucano | 1. Soldat | Konsul | 2. Famigliare Rupert Charlesworth
Liberto | 2. Soldat | Konsul Manuel Günther
Mercurio | Tribun | 3. Famigliare Christoph Seidl
Littore | Tribun Tobias Greenhalgh
Orchester Ensemble Matheus
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 グートの演出は悪名高いネロについて、語り継がれている内容そのものといったところ。
この演目を鑑賞するのは初めてだったのですが、今回はあらすじさえ調べてなかったということを劇場に来て気づくという有様。それでもバロックは同じ台詞が繰り返されることが多いので字幕を見ながらおおよそは理解できるものでしたし、エンディングをオリジナルから変えていたことにはすぐに気づきました。悪名高いネロの物語をハッピーエンドに終わらせてなるものかというのは無理のない発想です。

 時代は現代に設定、幸運、美徳、愛の神によるプロローグはまるでワイドショーのようなセット。これは皇族にしろ政治家にしろ常にワイドショーの話題になるものだと思ったのですが、TV業界の話かもしれません。ネローネは最初は悪という印象はなかったのですが、セネカが死んだ後からのネローネの様子は完全にプッツン。
 ネローネがワイドショーのセットで世界地図をイカれた様子で撫でまわすシーンがあったのが気になって、ネローネに世界征服の野望でもあったのだろうかと調べたところ、そういった記述は見つけることはできなかったものの、バイであったとか、ポッペーアを殺害したなど、語り継がれている悪行の数々はグートが表現したネローネそのものでした。また悪行の影に女あり、ネローネの悪行の数々はポッペーアのせいだという説もあるそうですが、ポッペーアにも「してやったり」感がなきにしもあらずでありました。


 セットは回り舞台、気になったのは音楽の切れ目で舞台が回るとき、弦が不協和音を奏でたり、ベース音が鳴り続けたりと少々耳障りだったこと。バロックの場合、途中で音合わせすることはしばしばあることですが、音合わせかと思いきや、舞台が回っている間中ずっと不協和音を奏でていたのは明らかに意図的なものでした。それは舞台が回るときの音を消すため、かつ不穏な雰囲気を演出するという意図があったのかもしれませんが、音楽の流れを切断し、かつ全体が冗長になってしまう気がしたのでした。

 歌手の人達は総じて好演。
  始めのころは少々不安定な印象だった人もいましたが、初日という上に結構演技も要求される演出だったということはあるかもしれません。
 三人のCTは三人三様。
 初めて聴いたアルディッティは若々しい溌剌とした歌声で、影で操っているのは愛の神である僕!と歌わない場面でもウロチョロとお茶目に好演でした。
 悪男が似合うデュモーは今回はワルオというよりスネオ。ポッペーア殺害のため真っ赤なドレスにハイヒールと女装する場面もあるのですが、正直女性には全く見えず、なおかつ失敗して逃げる姿が完全に男で笑ってしまいました。歌のほうは万全。
 ネローネ役のサバドゥスはデュッセルドルフで聴いたときに感じた声量面での不安はTAWではほとんど感じることはありませんでした。天使のような歌声で暴君は難しいと思いきや、ナイーブだからこその狂気を目の当りにしたといところ。
 ベテランのゼーリッヒはワーグナーから古楽までという守備範囲の広さを示し、ラーモアも文句なし。
 ポッペーアの乳母、オッターヴィアの乳母というおばちゃん役のおじちゃん二人はプロフィールの写真を見ても絶対にご本人とわからない姿で芸達者ぶりを発揮。お笑い担当をしっかりと果たしてました。

 この日はプルミエ初日。
 歌手の人達にはカーテンコールで賞賛しかありませんでしたが、グートとスピノジにはブーイングも少々あり。
 読み替え演出にはブーイングはありがちですが、スピノジへのブーイングは前述の不協和音の挿入の他、演出上の理由でエンディングの演奏を途中で切ったり、ロック調で一部演奏したりと音楽まで手を加えていることが気に入らない人がいてもおかしくない気がしました。ロック調で演奏した手法はヴェルサイユで観た『セルセ』でもありましたが(『セルセ』ではフラメンコ調)、『セルセ』のように極めてシンプルな舞台では洒落た演出に思えましたが、色々と凝った舞台では考えもの。演出と演奏のバランスは大切です。

 個人的には充分に楽しめた公演でした。


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ニュルンベルクのマイスタージンガー・・・STAATSOPER IM SCHILLER THEATER・・2015/10/11 [オペラ]

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MUSIKALISCHE LEITUNG Daniel Barenboim
INSZENIERUNG Andrea Moses

HANS SACHS Wolfgang Koch
VEIT POGNER Kwangchul Youn
KUNZ VOGELGESANG Graham Clark
KONRAD NACHTIGALL Gyula Orendt
SIXTUS BECKMESSER Markus Werba
FRITZ KOTHNER Jürgen Linn
BALTHASAR ZORN Siegfried Jerusalem
ULRICH EISSLINGER Reiner Goldberg
AUGUSTIN MOSER Paul O’Neill
HERMANN ORTEL Arttu Kataja
HANS SCHWARZ Franz Mazura
HANS FOLTZ Olaf Bär
EVA Julia Kleiter
WALTHER VON STOLZING Klaus Florian Vogt
MAGDALENE Anna Lapkovskaja
DAVID Stephan Rügamer
EIN NACHTWÄCHTER Jan Martin
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 日常の感動に比べたらお金を払って得る感動などたかがしれてる。以前そう書いたことがあります。そう言っちゃーおしまいだろうが!ではありますが、音楽を日常の生業としてない身なのですから、次元が違うのは当然のことです。

 しかし、この公演はドイツ人にとって日常の感動ではないかと思えるものでした。もちろん[猫]はドイツ人ではないので、あくまで想像ではあるのですが、作品と共に生きるとはどういうことかを実感したような公演でした。今までもバイエルンのリングのように’みんなで創ろう’といったコンセプトに作品と共に生きるという意味を感じとることはありましたが、今回はさらに深く、作品と共に生きることを体感したと言っても過言ではありません。それは作品の中で生きているような臨場感とダイナミズムに溢れたものでした。

 演出は観客の出入り口両側最前方を登場人物の出入り口としても利用することによって、狭い舞台を広く、なおかつ観客との一体感を創りだすことに成功してました。時代は現代ですが、徒弟役が全員ビートルズのようなマッシュルームカットだったのが、なんとなく60年代を思い出すものでもありました。

 演奏のテンポは速め、それが歌手の歌に普段の活気とでもいう躍動感をもたらし、歌手の人達は全員素のままの良さが光っていた印象でした。

 ただベックメッサーだけが中世の衣装を着たり、歌い方も一本調子で歌うことが多く、少々違和感のある役作りだったのですが、話としてベックメッサーだけが違うというのは分かりやすいし、ヴェルパが一本調子ぎみで歌うのが実に良い声で高慢な印象なので、これがヴェルパの良さが出る役作りなのだろうと納得できるものでした。途中で観客席の後方の入り口から入ったり出たりと迷った様子でウロウロしてると側のおじさんが「あっちだよ」と指を指して教えてあげていたのですが、おじさんの様子が凄く迷惑そうだったのには笑ってしまいました。以前ザルツの『魔笛』に出演していたヴェルパですが、今回ワーグナー歌いの間に入ると小柄に見えて、ワーグナー歌いの人達に大柄な人が多いことを改めて実感してしまいました。

 同じくザルツの『魔笛』に出演していたクライター。その時は演出のせいか、きれいに歌っているけどこじんまりとした印象でした。やはり演出によって歌手の印象は変わるものです。今回のエファは現代的な女性で、自然な演技とともに歌もすごく生き生きとした印象で素敵でした。

 速かった演奏のテンポは3幕に入るとぐっと遅くなり、それまで普通のおじさんだったザックスの懐の深さがクローズアップ。コッホはいつも上手ですが、少々硬い真面目すぎる印象を持つことがしばしば。しかし、そういった面こそザックスらしさに重なり、やはり素のままの良さが滲み出ているかのようでした。

 ヴァルターもその辺のお兄さんといった雰囲気。春祭のコンサート形式の歌合戦では凄い緊張感だったのですが、この演出では堂々たる歌いっぷり。やることはやったという一種の爽快感のようなものがあって、ローエングリンじゃないんだからそんなに見事に歌い上げなくても良いヨと思ってしまったほど。ただ絶好調とまではいかなかったのか?一瞬荒れた声が聞こえたのがかえって普通の青年で良かったと思えた歌いっぷりでした。

 マイスタージンガーの称号なんて不要と拒否した後の展開は通常と異なり、古い拘りにしばられることなく新しい世界を築いていこう、という内容になってました。公演途中頻繁に出てきたドイツ国旗よりも最後の場面の青い空のほうが印象に残り、国境を越えてみんなで未来を築いていこうといったことまで伝えているように見えた演出でした。

 忘れてならないのが本物のマイスタージンガー達で、これほど劇的信憑性の高い公演はないというほど。そのお姿を拝めただけでも感慨深いものでしたが、クラークなどは今でも現役でいけるのではないかというお声を発してビックリ!
 称号なんていらない!という展開に怒ったマツーラの杖の一喝!!にも観客はビックリ!本当に怒っていたと思うのです。

 『マイスタージンガー』という作品はリンデンの歴史にとってマイルストーン的な作品で、修復後のオープニング公演に必ず上演される公演です。この演出もリンデン再開に向けて準備されたと思うのですが、遅れに遅れている修復完成を長々と待つわけにもいかず、東西ドイツ統一25周年に上演の運びとなったのでしょう。分断から統一へという記念に相応しい演出思えました。

 リンデン再開時も今までの慣習に従って、この『マイスタージンガー』を再演するのかは不明ですが、再演してほしいものです。
 マイスタージンガーの方々にはいつまでもお元気でいていただいて再演時にもぜひご出演願いたいものです。

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マクベス・・・Wiener Staatsoper・・2015/10/10 [オペラ]

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Alain Altinoglu | Dirigent
Christian Räth | Regie

George Petean | Macbeth
Ferruccio Furlanetto | Banquo
Tatiana Serjan | Lady Macbeth
Jorge de Leon | Macduff
Jinxu Xiahou | Malcolm
Jongmin Park | Spion
Donna Ellen | Kammerfrau
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 ウィーン国立歌劇場、面目躍如の秀作。
 苦手なヴェルディもこういう秀作と出会うこともあるから、完全に切り捨てることはできない。そう思わされた公演でした。
 ヴェルディで完全に拍手が被らなかった公演というのは2つくらいしか思い出せません。ドレスデンの『リゴレット』(ルイージ、ルチッチ、ダムラウ、フローレス)とチューリッヒの『オテロ』(ザネッティ、クーラ、フリットリ、ハンプソン)です。
 大きな劇場はどうしても多少なりとも拍手が被ってしまうのがヴェルディですが、ウィーンも大きいので全く被らないというのは無理だろうと想像してました。しかし、最後に演奏が終了する前に幕が降りはじめたにもかかわらず、拍手が被ることはありませんでした。ヴェルディは好んで観る公演ではないので、席は最上階の後方でしたが、一見さんのコソコソ話で悩まされることの多い最上階でも全員シーンとしてガン見ガン聴き。それほどの緊張感で物語を伝えていただけでなく、幕が降りたら拍手などという気にはなれない、現代にも通じる重い問題を暗示していた公演でした。

 まず演出が遠くにいる観客でも非常にわかりやすい手法を取って秀逸でした。灰色を基調にしたシンプルな舞台に中東を連想するマクベスとイアーゴの軍服姿。魔女は常に舞台のどこかにいてマクベスの運命を暗示するだけでなく、永遠に続くかのごとき因果応報の象徴であり、光と影がマクベスの狂気を誘ってました。
 
 この公演を観たのはパリのテロ事件の前でしたが、テロ事件でこの公演を思い出さずにはいられませんでした。報復の連鎖が繰り返されないことを願うばかりです。

 公演全体として秀作だったことは出演者、演奏、演出、全て良かったということで、個別に書く必要もないかもしれませんが、少し書き残しておきます。

 タイトルロールのオリジナルはテジエでしたが、1か月くらい前にはペテアンに代わっていたので、リハーサルからペテアンは参加していたことと思います。ペテアンは何回か聴いたことはあって、いつも端正で堅実な歌唱で、コメディでも悲劇でも舞台センスもある印象ですが、大見得をきるようなタイプには思えず、ヴェルディのタイトルロールはどうかな?と思ってました。しかし、大見得をきる必要がある演出でもなく、端正な歌声は生真面目な人間が過ちを犯して狂気に導かれるさまをまざまざと伝えてました。

 セルジャンを聴いたのは残響が大きかったローマだったので、そのときは大見得きりまくり。たっぷりと厚化粧をほどこされていたと感想では書いてしまったのでした。今回はペテアン同様、大見得をきっていたという印象はありません。ヴィヴラートが強い歌声でしたが、ローマでは残響が大きすぎて気が付かなかったのかもしれません。ヴィヴラートの強さはいかにも野望があるという印象であった一方で、気が狂ってしまう場面では精神の不安定さを表すものでした。

 フルラネットを聴くのは久しぶりでしたが、やはり声自体に年月が経ったのは否めません。しかし、イアーゴが年取っていることになんら問題があるはずがありません。ブラヴォーをもらってました。

 演奏は際立つものでも誇張したものでもありませんでした。しかし、演出の意図を観客に伝えるのにほどよいテンポで緊張感を維持し続け、観客を物語に釘付けにしたアルティノグリュこそ最大の功労者と思わざるをえません。


アンナ・ボレーナ・・・Wiener Staatsoper・・・2015/10/9 [オペラ]

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Evelino Pidò | Dirigent
Eric Génovèse | Inszenierung

Marco Vinco | Enrico VIII.
Edita Gruberova | Anna Bolena
Sonia Ganassi | Giovanna Seymour
Celso Albelo | Lord Riccardo Percy
Margarita Gritskova | Smeton
Ryan Speedo Green | Lord Rochefort
Carlos Osuna | Sir Hervey

 シンプルな演出で、読み替えもなく、衣装の美しさが見どころといったものではありますが、最後にアンナ・ボレーナが断頭台に仰向けに横たわり、降りてくる刃を睨みつけながら自らの死を迎えるという演出にはゾクっとさせられました。

 正直言ってグルベローヴァの高音の無理やり感は6月に聴いたときと同じでしたが、相変わらず公演に信憑性と緊張感をもたらす要でありました。

 パーシー役のアルベロを聴くのは初めて。柔らかい声がグルベローヴァとの声の相性という点で少々違和感がありましたが、さすが高音には強く、きれいな発声は聴きごたえがありました。

 今回最も印象に残ったのはガナッシ。
グルベローヴァと共演することが多く何回も聴く機会があり、実力のほどは知ってますが、今回は誰よりも充実した素晴らしい歌唱に思えました。

ラインの黄金・・新国立劇場・・2015/10/4 [オペラ]

指揮 : 飯守泰次郎
演出 : ゲッツ・フリードリヒ

ヴォータン:ユッカ・ラジライネン
ドンナー:黒田 博
フロー:片寄純也
ローゲ:ステファングールド
ファーゾルト:妻屋秀和
ファフナー:クリスティアン・ヒュープナー
アルベリヒ:トーマス・ガゼリ
ミーメ:アンドレアス・コンラッド
フリッカ:シモーネ・シュレーダー
フライア:安藤赴美子
エルダ:クリスタ・マイヤー
ヴォークリンデ:増田のり子
ヴェルグンデ:池田香織
フロスヒルデ:清水華澄
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 新制作といっても借り物ということで、発表時から批判も少なからずあったようですが、[猫]としては鑑賞したことがない演出なので、別によいんじゃない、というくらいで観たわけですが・・・・なるほど初めから批判があった理由が納得できてしまいました。

 キャラの設定が意味不明。なんだか妙にわざとらしさがあって滑稽な感じが気になりました。百戦錬磨のゲストの人達はそれでも自然体で馴染んでいると思えたのですが、日本人キャストの人達の動きがどうしても若干学芸会的になってしまうのは、経験した公演数の差を鑑みれば致し方ないというもの。ただし、秘密でもなんでもない極高シークレットブーツを履いた巨人兄弟に自然な動きを追及してははあまりに鬼。それでもファーゾルトの死に際の倒れ方は極高秘密長靴による捻挫も恐れず、見事でありました。
 演出家が故人といってもキャラ設定などについて制作ノートなどが残っていそうな気はするのですが・・・?

 なんだかんだ言っても予算がないのだから仕方ないといえば仕方なし。前年好評だった『パルジファル』が精いっぱいというところでしょうか。