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パルジファル・・・新国立劇場・・・2014/10/11 [オペラ]

【指 揮】飯守 泰次郎
【演 出】ハリー・クプファー

【アムフォルタス】エギルス・シリンス
【ティトゥレル】長谷川 顯
【グルネマンツ】ジョン・トムリンソン
【パルジファル】クリスティアン・フランツ
【クリングゾル】ロバート・ボーク
【クンドリー】エヴェリン・ヘルリツィウス

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は聖地が同じということで永きにわたり紛争が絶えません。
それは1000年以上やっているのですから、その争いから無縁である仏教の悟りの中に和解の糸口を見出せないものか、という考えが浮かぶのは不自然ではないように思えます。
クプファーが最後の場面、
パルジファルが法衣を三つに分けて自分が一つ持ち、クンドリとグルネマンツに一つずつ渡して三人で仏僧のあとについていく
という演出にしたのにはそういった意味があるのではないか?と思えたのでした。
もちろんそれは誰がどの宗教を表すかということではなく、三つに分けたところからふとそんな考えがよぎったのでした。

ワーグナーは晩年、仏教に関心を持っていたそうですが、ジュネーヴでパルジファルを観たときにそれを知っていれば、なぜ???ということにとらわれて公演から意識をそらさずにすんだのに・・・とも思ってしまいました。
ジュネーヴのパルジファルの感想は→こちら
同じ演出をやっているライプツィッヒ歌劇場のサイトの写真の中に仏像のように見えるたくさんの像がある写真がありますので参考までに→こちら

クプファーの演出はこの新国のためだけに制作されたもので、劇場の構造を充分に生かした立体的な美しさがあり、日本が誇る発明LEDを使用するという素晴らしいものでした。
ただLEDの上を歩くときの音が少々気になるので、今後改良が可能ならば配慮してもらえないかというところではありました。

クプファーが新国のためだけに演出したということも感慨深いものなら、配役もワーグナー作品における大ベテランのトムリンソンから今まさに旬のヘルリツィウスまで、よく新国の仕事を引き受けてくれたと思うほどの豪華さです。
それも永年にわたり、本場で関係を築き上げてきた新国関係者の努力あってのことでしょう。

演奏はゆっくり目で冗長に感じるところもありましたが、出演者はそれも気にならなくなるほどの実力者ぞろいです。
パルジファル役のフランツは素朴な様相がパルジファルのイメージにぴったりですが、「アンフォルタス!」の語尾を苦しそうに歌ったのは説得力があり、目から鱗といった新鮮ささえ感じるものでした。
トムリンソンは見るからに長老で、スカラでハーゲン役で聴いたのは3年前になりますが、声も歌い方さえも一気に年を取ったように思えてしまったのは当然役柄ゆえでしょう。
ヘルリツィウスのクンドリは期待通り、場面ごとの変貌ぶりは見事でした。

来シーズンのオープニングの『ラインの黄金』も楽しみです。
新作といっても借り物の演出なのが不満いう声はあるかもしれませんが、[猫]は観たことのない演出なので問題なし。
勝手な個人的要望ではありますが、ウォーナーのリングも全部は観てないので再演してほしい気もしてます。


ローエングリン・・Bayreuth, Festspielhaus・・2014/8/9 [オペラ]

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Conductor Andris Nelsons
Director Hans Neuenfels

Heinrich der Vogler Wilhelm Schwinghammer
Lohengrin Klaus Florian Vogt
Elsa von Brabant Edith Haller
Friedrich von Telramund Thomas Johannes Mayer
Ortrud Petra Lang
Der Heerrufer des Königs Samuel Youn
1. Edler Stefan Heibach
2. Edler Willem van der Heyden
3. Edler Rainer Zaun
4. Edler Christian Tschelebiew

バイロイトはこの公演だけ観れば良かったです。
他の2公演とは雲泥の差。
感動が幾重にも重なって押し寄せてきて、『ローエングリン』が一番人気となるのも当然という完成度の高さがあり、バイロイトの底力を見せつける公演でした。

この公演の成功の理由は以下の3点にあると[猫]の脳みそは分析

1.演出家と指揮者のコンセプトが完全に一致している
ローエングリンという話はもともと童話なのだということ、それにノイエンフェルスは群衆とはネズミのようなものというアイデアを重ねたのではないか?ネズミということで、ハーメルンの笛吹男の伝承まで連想してしまうところはあるが、そこまでノイエンフェルスが意識したかは当然不明であり、そこまで連想する必要はない。
 ネルソンスはローエングリンの曲の中でも愛らしい部分を鮮明に浮かび上がられ、演出もそういった部分はかわいらしさに溢れるものとなっている。全体的な音楽の流れも溌剌と勢いがあり若々しく、ネズミの着ぐるみは良くできていて、童話から飛び出してきたように生き生きと、生身の人間よりもはるかに大きな印象を観客に与える動きをする。最後にローエングリンが前に向かって歩くのが文字通り前向きな印象を残す演出となっている。

2.舞台上に本物のローエングリンが存在する
そう言ってしまうほど、フォークトがDVD収録時をはるかに上回る出来で完璧なローエングリンだった。

3.上記1,2の条件のもとに公演にかかわる全ての人の力が集結している
 合唱の素晴らしさはいくら新国が上手いといってもお子様レベルとなってしまうほど圧倒的な力があり、ネズミの群れとなることによって更にその力は大きく観客に印象づける。
黒子のような役割を果たす緑がかった空色の実験着を身に着けた集団の仕事ぶりも見事。


以下は10か月たっての思い出せる範囲の感想です。
バイエルンのリングが大切に語り継がれている話だからこそみんなで造ろうというコンセプトの演出でしたが、それに似た発想がノイエンフェルスの演出にもあり、さらに踏み込んでいるのではないかと思えたのは、
人々の心の中に『ローエングリン』が生きている、
という発想から、
『ローエングリン』の世界の中に我々がいる、
という感覚にまで変化させる仕掛けがあることでした。
この演出には黒子のような役割をする空子(衣装が黒ではなく空色なのでそう呼ぶことにします。水色とも言えますが、水子というと違う意味があるので)が登場しますが、この空子の存在こそが鑑賞する側とローエングリンの世界の関係を表しているようでした。
舞台はネズミを使った実験あるいは研究所のような印象で、空子達は管理する側の人間のようですが、まるで演出助手のように登場人物たちの動きを制御します。
王に刃を向けるネズミにはそんなことリブレットに書いてないとばかりにしょっ引き、禁問の場面ではここは二人きりにするのだからと他の出演者を舞台から追い出す役割をします。
これは観客の気持ちの表れではないのか?観客の代表としての役割を果たしているのではないのか?と思われたのです。
そんなネズミと空子の関係が大きく変わる場面があり、
用もないのにヒョコヒョコと登場した2匹のネズミに、ここは出番じゃないとばかり注射をしてお仕置きをする空子に対し、倒れたふりをしてムクっと起き上がり、逆襲するネズミたち。
「ここはオラたちの世界なの!邪魔するなっチューの!」
観客の意識の中に存在する『ローエングリン』ではなく、『ローエングリン』の世界そのものが存在するのだと知らしめているかのようでした。
『ローエングリン』の世界は観ている人の心の中にあるのではなく、『ローエングリン』の世界に観客がいるということであり、実際にそう思わされる公演でした。

その後空子たちは黒子に徹するのですが、この仕事ぶりが実にお見事!
最初のローエングリンの登場場面ではネズミたちは自分でネズミを脱ぎ、歌いながら自分たちでハンガーにネズミの抜け殻をかけるのですが、2幕では合唱に徹して抜け殻を掛けるのは空子たちのお仕事です。
整列しているネズミたちの間を彼らの前に出ることなく、彼らを邪魔することなく抜け殻を全て集めて曲が終わるまでハンガーに掛け終わらなくてはなりません。
これが結構大変な作業で、まもなく曲が終わろうとしているのに合唱最前列の真ん中足元に数匹の抜け殻が残されたまま・・・急げ!頑張れ!と思わず心の中で叫んでました。
最後二人の手が伸びてなんとか全部掛けられそうと思ったのですが、一つ残されてしまった・・・
あ~~~と思った瞬間に手が伸びてなんとか間に合ったのには合唱の素晴らしさと重なって大感動!


ところで以前TV放送があったときにも観ているのですが、こんなに空子たちが必至に抜け殻を集めていただろうかと録画を見直してみると、合唱は脱ぎ捨てると前方に移動して王の伝令を囲むように丸く集まってるので、空子たちは合唱の後方で楽々と抜け殻を掛けてました。
今回のように整列している方が合唱の力強さをさらに迫力あるものとしているので良くなった点ではありますが、合唱の間を目立たないように邪魔しないように動く空子たちのお仕事は大変で、それが更なる感動でした。
他は収録時と今回とでは登場人物の動きはほとんど変わらず、ノイエンフェルスの指示どおり動いていて、出演者それぞれ既に自分のものにしているといったところでしたが、もう一か所違うと思ったところが終盤の「マイン リーベル シュヴァン・・・・」
TV放送ではフォークトはボートの淵に寄りかかって歌い始めてます。
しかし、今回はボートが後ろすぎたのか?エルザと離れるのが遅すぎたのか?
ボートにたどり着くまで後ろ向きに這いつくばりながら歌い始めたのにはビックリ。
顔は後ろ向きでしかもほとんど下を向いているのにもかかわらず、そんなことは何ら問題ない歌いっぷり。
テルラムント役のT・J・マイヤーは舞台映えのする人で、その立ち姿はマーロン・ブラントを思い出してしまうのですが、ローエングリンが登場するまでは、さすが主役は違うと思ってしまうほど説得力があり、正義の象徴のようで民衆の信頼はさぞかし厚かろうと想像でき、民衆が訴えに戸惑うことも、またローエングリンが現れたとたん民衆がテルラムントに決闘を自重するように勧めることも納得できるものです。
一方で、それくらいローエングリンは明らかに普通の人ではないオーラに溢れ、それは最後に幕が下りるまで一瞬たりとも疑う余地のない、圧倒的なローエングリンでした。
エルザ役のハラーはワーグナー歌いとしては声が細い印象ですが、それが少女らしさに繋がって心の機微が伝わってきました。
オルトルート役のラングは小柄で可愛らしく、ノイエンフェルスはラングのイメージからこの演出を発想したのではないかと思えるほどピッタリハマリ役。最後に白い衣装でコロコロとヨタッて大見得をきるのがなんとも言えないコワ可愛らしさです。
ハイリッヒ王は見た目がツェッペンフェルトにそっくりの細身の人で、背丈はツェッペンフェルトよりやや小柄で声も軽い感じなので、さらにヘナチョコ感アップでした。
伝令のヨンも変な演出のオランダ人よりもずっと自然体で堂々とした歌いっぷりに思えました。

合唱は歌だけでなく、ネズミとして動く姿も上手くて最高でした。
面白かったのがシッポが飛んだときがあって、その後婚礼の場で全ネズミが自分のシッポを大切そうに手にもって現れたのには笑ってしまいました。
「大変よ。ネズオくんのシッポが切れちゃったんですって。みんな自分のシッポは自分で守りましょうね。チュー意!チュー意!」てな感じ。学習能力と情報共有能力に長けたネズミたちです。
もちろんシッポが切れることはリハーサルの段階から何回もあったことは想像に難くなく、シッポが切れないようにする工夫をしているだけのことでしょうが、タイミングよくシッポが切れてその後全員でシッポを持って現れるとそんな風に思えてしまうものです。

カーテンコールは延々と続きましたが、TV放送ではオマケのように思えたネルソンスへの拍手も決してオマケなどではなく、盛大な賞賛を受けてました。
途中2幕のエルザとオルトルートの対峙の場面でアクリル板にネルソンズが白いTシャツ姿で指揮しているのが反射して見えましたが、カーテンコールではさすがに正装に着替えて賞賛を受けてました。
前方で鳴っていて頭上に飛んでこない音響への苛立ちはなく、合唱の充実と曲調もあって、むしろ最高の音響に思えました。

これだけのものを見せつけられると[猫]でも時々は高い敷居をよじ登ってもぐりこませていただこうかと思ったのでした。