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さまよえるオランダ人・・Bayreuth, Festspielhaus・・2014/8/8 [オペラ]

Conductor Christian Thielemann
Director Jan Philipp Gloger

Daland Kwangchul Youn
Senta Ricarda Merbeth
Erik Tomislav Mužek
Mary Christa Mayer
Der Steuermann Benjamin Bruns
Der Holländer Samuel Youn

おもしろくもなんともない喜劇でこの日も蚊帳の外。
途中気分が悪くなった人が退出したのですが、同じ列だったら一緒に出ていきたかったくらい2時間半は長いものでした。

ティーレマンの人気の理由は何なのだろうとずっと興味を持って探っていたわけですが、シュトラウスではその理由を垣間見ることはできましたが、ワーグナーでは未だ分からず。
ウィーンで『パルジファル』を聴いて、これがワーグナー2作品目ですが、どうも引き込まれません。
もともとワーグナーの中でもオランダ人はブンチャブンチャとヴェルディもどき感があるのでそれほど好きではない作品ですが、そのヴェルディもどき感が少なかったのは良かったところではあります。
それに音もワルキューレのときに比べたら頭上に飛んできているようでしたし、コーラスもあるので臨場感といったものもワルキューレのときよりはずっとありました。
それにオケは文句なく上手い。
しかし、重箱の隅をつつくようなこだわりが感じられて広がりがないどころか、窮屈で味気ない。
それほど上手くないオケで聴いてもどこかゾクっとするような部分が今まではあったのですが、そういった部分もなく、なんとも思わなかったのです。
無理して理解しなくてはいけない課題ではないので、分からなければ分からないでそれ以上追及しようのない問題です。

演出については、なんだかんだあっても最後は結局全ては金儲けといった内容をどうして『さまよえるオランダ人』で表現するのか?
これは指揮者のポリシーそのものだから?

本拠地ゼンパーの都合などどこ吹く風。
出稼ぎとDVD制作、お金儲けに余念がない指揮者の姿勢そのものだと思えてしまったのも、ゼンパーの支配人が辞めるというゴタゴタの後だっったからかもしれません。

いずれにせよおもしろくもなんともない公演でした。

[猫]によいと思える能力がないともいえることで、発する側も受け取る側も個性があるのですから仕方ないことです。
やはり[猫]ごときが来るところではないとこの日も思ったのでした。

ドン・ジョヴァンニ・・Salzburg, Haus für Mozart・・2014/8/6 [オペラ]

Conductor Christoph Eschenbach
Director Sven-Eric Bechtolf

Donna Anna Lenneke Ruiten
Donna Elvira Anett Fritsch
Zerlina Valentina Naforniţă
Don Giovanni Ildebrando D'Arcangelo
Leporello Luca Pisaroni
Il Commendatore Tomasz Konieczny
Don Ottavio Andrew Staples
Masetto Alessio Arduini

演出がもう少しなんとかならなかったのか?と思ってしまった公演。

ホテルのロビーというセットが終始変わらないのですが、なんとも言えない閉塞感があったのは、なんの意外性もなく、出演者の演技だよりでしかなかったことが要因ではないかと思われました。
セットが変化しなくても、パリで見たハネケ演出のドンジョのように強烈な読み替えで印象を残すというなら納得ですが、インパクトのある読み替えもないのに常にホテルの中に設定してしまったがためにスケール感のない作品になってしまってました。
出演者の演技はドンジョのキャラを女のことしか頭にない能天気キャラに設定し、ブッファの面を強調しているものでしたが、それも小さな劇場ならいざ知らず、この劇場のサイズでは出演者がなんだかウロウロチョロチョロしていただけという印象になってしまって、出演者にとっては労多くして功少なし状態。舞台近くで観たり、映像で観たほうが良さがわかることでしょう。
今後再演もあるでしょうが、コンセプトは出演者がどう演じるかでいくらでも変えられるという狡さもある演出なので、面白い演出に大化けする可能性もなきにしもあらず・・・ではあります。

演奏は上品でしたが、歌手の人達が演技を要求される部分が多いため、歌うときはゆっくりと歌わせたかったのか?
ウロウロチョロチョロした演技とは全く正反対といってもよいくらい優雅に歌わせていたのですが、演出家と指揮者とのコンセプトのすり合わせができていたのか?できてなかったのか?と疑問に思うような演出とのチグハグさをしばしば感じるものでした。
特に最後の地獄落ちの場面、演奏は地の底から湧き出るような不気味さを自然な抑揚でじわじわと表現しているのに、演出は中途半端なパントマイム風コミカルな動きがあって「なんじゃこりゃ???」

歌手の人たちは演技も頑張って歌もしっかりといったところでしたが、よく言って可もなく不可もなく
といった印象に終わってしまった公演でした。




ワルキューレ・・Bayreuther Festspiele・・2014/8/5 [オペラ]

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Conductor Kirill Petrenko
Director Frank Castorf

Siegmund Johan Botha
Hunding Kwangchul Youn
Wotan Wolfgang Koch
Sieglinde Anja Kampe
Brünnhilde Catherine Foster
Fricka Claudia Mahnke
Gerhilde Allison Oakes / Rebecca Teem
Ortlinde Dara Hobbs
Waltraute Claudia Mahnke
Schwertleite Nadine Weissmann
Helmwige Christiane Kohl
Siegrune Julia Rutigliano
Grimgerde Okka von der Damerau
Rossweisse Alexandra Petersamer

[猫]ごときが入れる場所ではないと思っていた祝祭劇場ですが、ネット販売の量が格段に増えたとあって行けてしまいました。

歌手の声が消されることのないようオケピが工夫されているとは聞いてましたが、確かに非常に深く、尚且つオケピと客席を隔てる壁が舞台側に湾曲しています。
舞台側のほうが客席側よりもはるかに音が飛んでくるでしょう。

このバイロイトの音響が素晴らしいということをよく聞くのですが、平土間後方で聞いていると音が頭上に飛んでこず、前方で鳴っていて後方にはそのおこぼれの響きだけが伝わってくるような状態は蚊帳の外に置かれているような侘しさでした。
特に合唱がないワルキューレでは臨場感が乏しく、ワルキューレの騎行など、ここぞというところでの薄っぺらな印象は毎年来るようなところではないと思ったのでした。(ローエングリンを聴くまでは)
ペトレンコは初めてだったのですが、このような音響で聴くよりも音楽監督を務めるバイエルンで聴いたほうが遥かに臨場感のあるよい公演を楽しめるでしょう。

思わず前に走っていってオケピに頭を突っ込んで聴きたい衝動に駆られたわけですが、そう思ったのは[猫]だけではないはず・・・・・
オケピの回りで何匹も猫が頭を突っ込んでいたら、オケピの中で演奏している人たちは不気味だろーなー。。。。
それより音圧で猫が1匹、2匹とオケピに落っこちてきたらシャレにならんし・・・・
と・・・こんな一人ボケツッコミ状態で鑑賞するハメになったわけです。

セットは中東の油田、高く組まれた櫓・・・
ジークムント役のボータを見ながら・・・・
1.ジークムントは櫓に登らない
2.ジークムントが櫓に登るとミシミシと音がするが、無事降りてくる。
3.ジークムントが櫓に登ったらセットが壊れる。
そりゃー答えは1に決まってます。
初日のタンホイザーでセットが壊れるという失態をやらかしたのですから、櫓に登ることなどあろうはずがございません。

しかしながらボータ絶好調!今まで聴いた中でも格別の出来で、これがバイロイトで歌うということなのだろうと思えたのですが、悠々とボータ流の演技で貫き通していても、演技などトドでもよいと言い切ります!
それでも思わぬ形でボータ流演技の奥義たるを知ることとなったのでした。
舞台にカメラスタッフがいて、セットの内部の様子を撮影して舞台上にあるスクリーンに映すという手法で、この手法自体はワルリコフスキの『ロジェ王』で使用されていたので新鮮さはなかったのですが、ジークムントの死の場面で死んだジークムントの表情がしばらくアップになり、かっと見開かれた大きな目がびくともせずに死を表現していたのはトドではできない技!お見事!

このボータをはじめ、第一幕のジークリンデのカンペ、さらにハーゲンのユンの絡みは圧巻でした。
その他の出演者も非常に良かったのですが、それは歌手の声がよく届く構造ということ以上に、バイロイトで歌うということ自体が誇りであることが伝わる充実したものでした。

中東の話ということで、フリッカはアラブの衣装ですが、なるほどイスラムの世界は一夫多妻なのでその点では不自然さはないかと思いながらも、基本的には蚊帳の外に置かれた[猫]の一人ボケツッコミ状態は続き・・・・
極め付きは3幕
櫓に登ったワルキューレたちは女子プロレスの中東巡業みたいにみえる・・・・(中東ではありえん!)
「ヴォータン酷い!ブリュンヒルデをファイヤーデスマッチに送り込むなんて!」
と悲しむ女子プロレスラーたち。
そんなことを考えながら観ていて、最後のブリュンヒルデの出で立ちに[猫]は椅子から転げ落ちて両足着地失敗するかと思いましたよ。。。
ブリュンヒルデはマントを身に着け、モヒカン型ヘルメットをかぶり、デスマッチへ向けて心を落ち着かせるのでした。
しかし、ヴォータンが火をつけたのはドラム缶のフチ・・・
その小ささは五右衛門風呂サイズでプロレスのリングには無理。

そーかー!
リングとプロレスのリングを結び付けたってわけかー! 

両足着地失敗でも、思いもよらなかったウルトラCのばかばかしさで着地できたので自己満足でした。


石油利権に絡めた演出についてはリングを通しで観ればさらに分かることもあるかもしれず・・・?
このような蚊帳の外の音響でなければまだ集中してみる気にもなったかもしれず・・・・?
ではありますが、ここは[猫]ごときが来るところではないとこの日は思ったのでした。

カーテンコールで気になったのは写真を撮る人が多かったこと・・・・ここは厳禁のはず。
係りの人も注意する気配も見せず、ネット販売を行うと決定したことで主催者側も大目に見ようという判断なのかもしれません。
それでも長きにわたり守り続けられた伝統や規則といったものが無視されるのは部外者であっても少し悲しい気がします。
公的資金を受けている以上、ある程度一般向け販売は見える形で行うことはやむなし。
この販売を行わないようにするために、ワーグナー協会が頑張って公的資金の援助なしで運営できるようになってもらいたい気もします。
[猫]はそこまでワーグナーが好きというわけでもなく、それ以前にそこまで音楽好きではないので、一度覗かせていただければ充分。ここバイロイトが特定の愛好者の人たちだけの特別な存在であってもよいのではないかと思ったりもするわけです。


ポント王ミトリダーテ・・Drottningholms Slottsteater・・2014/8/3 [オペラ]

Conductor David Stern
Director Francisco Negrín
Sets, Costumes Louis Désiré

Mitridate Peter Lodahl
Aspasia   Miah Persson
Farnace Christophe Dumaux
Sifare   Raffaella Milanesi
Ismene    Sara Hershkowitz
Arbate   Elisabeth Meyer
Marzio   Anders J Dahlin

昨年がバロック全盛時代の上演形式を再現するHIPだったのとは趣を変え、モダンでスタイリッシュな演出で、オケのメンバーも昨年身に着けていたモーツァルト時代のカツラと衣装はなし。
劇場の係の人に尋ねたところ、夏の暑さでカツラと衣装は辛いということと、今後毎年趣向を変えて上演するとのことでした。

出演者がCTを一人含んだテノールとソプラノだけで全員高音組というのは独特の緊張感が漂うものです。
この作品はモーツァルトが14歳のときに作曲したオペラ・セリアですが、後のダ・ポンテ3部作などとは趣が異なり、バロックという印象が残る作品です。14歳にしてこれだけの緊張感のある作品を創り上げてしまうのですから、神童と言われるのも当然だと改めて思い知らされたのでした。

バロックの場合、様式美というのは重要で、そういった点で音楽面では様式美に溢れたものでしたが、演出がモダンな場合は劇的信憑性といった部分もないと説得力や面白味に欠けてしまう懸念があるところを、今回タイトルロールだったロダール、そしてファルナーチェ役にメゾではなく CTのデュモーを起用することによって劇的信憑性を高めたのではないかとも思えました。
CTのデュモーは以前タメルラーノで聴いて以来、今回は演出つきの舞台でどんなパフォーマンスをするかが楽しみでもあったのですが、トリルの心地よさは以前と変わらず様式美を保つ歌唱である一方で、演技面では体当たり汗だくの熱演で様式美だけではないスケールの大きさを舞台にもたらしてました。タメルラーノのときより体格が一回り大きくなってましたが、声量という面でも一回り大きくなっていて、今回はアジリタ三昧の役ではないということもあるとしても、演出つきの舞台で安定した声量を目指したゆえの体力アップなのだろうと想像でき、その成果がしっかりと出たパフォーマンスでした。
タイトルロールのロダールは歌い方が様式美というよりどちらかというと劇的信憑性重視といったタイプの人でしたが、ハイCもしっかりと決めてくれて、舞台に熱い息吹のようなものをもたらしていたように思えました。
他の歌手の人たちも好演で、カーテンコールは賞賛に溢れ、この日がプレミエだったこともあり、皆花束を受けながら安堵と喜びの表情を浮かべてましたが、中でも最も賞賛をあびていたのはシーファレ役のミラネージ。トリルやフレージングの美しさといった様式美という点でも一番でしたが、登場したときは男性かと思えた姿で、役になりきった演技もよし。ご本人はこの日がプレミエとあって緊張もあったかもしれませんが、賞賛を浴びてガッツポーズでした。

演出では黙役の4人の家来と一人の侍女が対照的で印象に残るもので、4人の男性の家来はバロック時代の演劇の装束を連想させるカツラと衣装ですが、衣装が真っ黒なワンピースにも見え、真っ赤な口紅をしているのせいもあって女装しているようにも見えるものでした。ガッシリとたくましい男性4人がカツラと黒の衣装を身に着けているのはスタイリッシュでかっこよいものです。この4人が無表情で冷血な家来だった一方で、同じく黙役の召使いらしき女性が事の顛末を心配そうに見守っているのですが、男性家来たちの装束でバロック時代の作品だということ、そして女性の召使いによって時が過ぎても普遍の人間ドラマであることを表しているように思えた演出でした。
些細な難を言わせてもらうとしたら、ドロットニングホルムの建設当時から残るバロック様式の舞台セットを駆使するような演出には見えず、せっかくのセットがもったいないような気がしてしまったのですが、でもそれも自分が気が付かなかっただけかもしれません。

いずれにせよ、ここで聴く音楽は1766年の建設当時と変わらないであろう特別なもので、次のミンコフスキ指揮のフィガロも来ようなどと贅沢な考えが浮かんでしまいましたが、ミンコフスキのフィガロはウィーンでこの後聴いたので、我慢してパスすることにしました。

この劇場は、休憩中に外へ出ると出演者がお友達とおしゃべりしていたり、オケのメンバーが散歩していたりと、なんとなく長閑で出演者と観客の距離がすごく近くに感じるおもしろさもあります。
帰りはストックホルム駅行きのバス(劇場向かいの売店でチケット購入可能)が劇場前から出るのですが、出発するときにデュモーがリュックを背負って普通に帰る姿が窓越しに見えたのでした。

フィガロの結婚・Confidencen ・Ulriksdals Slottsteater・2014/8/2 [オペラ]

夏の旅行は昨年訪れて気に入ったドロットニングホルムを再訪すべくストックホルムへ・・・
そして敷居が高く[猫]ごときが訪れることなどないと考えていたバイロイト・・・
ついでにちょこっとザルツブルクでした。

観た公演は観た順で以下のとおり
フィガロの結婚・・・コンフィデンセン
ポント王ミトリダーテ・・・ドロットニングホルム
ワルキューレ・・・バイロイト
ドン・ジョヴァンニ・・・ザルツブルク
さまよえるオランダ人・・・バイロイト
ローエングリン・・・バイロイト

良かった順は他を大きく引き離しダントツでローエングリンが一位で次がポント王ミトリダーテ、
そして残る4公演の中で3位に選ぶとしたら、有名な人が誰一人いなくてもこのフィガロの結婚
次が悪くはないけどそれほどよくもなかったドン・ジョヴァンニ
バイロイトの他2作は。。。。。。
感想というのは鑑賞前の期待の大きさに左右されるものです。
それぞれの感想は観た順に書いていきます。


Conductor Arnold Östman
Director Per Arthur Segerström

Count Almaviva Jakob Högström
Countess Albina Isufi
Susanna Randi Røssaak
Figaro Luthando Qave
Cherubino Sofie Almroth
Don Bartolo/Antonio Andreas Franzén
Marcellina Therese Badman Stenius
Don Basilio Conny Thimander
Barbarina Johanna Wallroth
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コンフィデンセンはドロットニングホルムほど有名ではありませんが、ストックホルムから電車とバスで30分の王室の離宮であるウルリクスダル宮殿の敷地内にある小さな宮廷劇場です。
現在のスウェーデン国王はドロットニングホルムにお住まいですが、ウルリスクダルは前国王がお住まいだった宮殿で内部は一般に公開されてます。

コンフィデンセン劇場はもともと1670年代に乗馬学校として建てられた建物を改修し、王室の劇場として使用していたそうですが、実際に外観は劇場というより質素な学校です。
グスタフ3世の死後、演劇文化は廃れ舞台装置は壊されて2世紀以上放置されていたのですが、1965年になって財団が設立され1994年から97年にかけて再建されたスウェーデン王室の歴史上重要な文化財です。
ドロットニングホルムより小さく、内部客席も椅子を並べただけで劇場というよりサロンのような趣で豪華さはなく、外見同様に質素な雰囲気ですが、豪華さよりも文化的な内容を重視した王室の姿勢の現れであり、そういった姿勢こそが現在にいたるまで王室が国民の尊敬と敬愛を集めている理由の一つなのかもしれないと思えたのでした。
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近代的な照明設備が客席天井に設置されていて、それが少々不興ではあるのですが、今回は始まる前に舞台上の蝋燭に火をつけてまわるスタッフが登場し、蝋燭照明での上演でした。
昨年のドロットニングホルムがHIPだったので、このコンフィデンセンも少々期待はしてましたが、思いがけず嬉しい趣向の公演でした。

蝋燭照明とあって薄暗く、出演者は全員厚化粧で登場
オケピはなく、チェンバロも担当する指揮者を含めて総勢12名
目の前で演奏される楽器の音色は心地よく、ユラユラと揺らぐ薄暗い蝋燭照明の中で聴いていると、あまりの心地よさと、日本から到着した次の日という時差ボケとで途中ウトウトしそうになったほど^^;
蝋燭のゆらぎの催眠効果は強烈なものがありましたが、手を伸ばせば触れるほど間近で演奏している人たちに対してそれはあまりに失礼なのでしっかりと?起きてましたヨ。
古きよき時代の演出は特に面白いというものではないのですが、厚化粧の歌手の人たちは舞台前方にある蝋燭の光を下からあびるので、ドガの描いた「手袋をした歌手」や「カフェ・コンソール」を思い出し、あの絵は光を特に強調しているというわけでもなく写実そのものだと思ったのでした。

歌手の人たちも予想以上によくて、男性陣は皆盤石でしたが、それもそのはず、フィガロ、バルトロ、バジーリオ役の人たちはストックホルムのロイヤルオペラにも出演している人たちでした。
女性陣ではスザンナ役の人が好演。

観光用かと思って期待は低かったのですが、決してそれだけではない、文化財の保護の観点から言ってもしっかりとした取り組み姿勢の感じられる公演でした。




アラベラ・・・新国立劇場・・・2014/5/31 [オペラ]

頭電子という名前はどう見ても女の子の名前ですよね。
その女の子が頭殿下になるというシンデレラ物語なのです・・・
え?違うの?
あーそうか!なんとオバカなことでしょう!
頭電子ではなく津電子、頭殿下ではなく津殿下
ドイツ語だもんね(^o^)丿
え?まだ違うの?

シュトラウスでもバラとアラベラはどちらかというと苦手で興味のない演目なので、こういったボケで楽しむのも悪くないのです。
話自体がおもしろくもなんともないし、音楽もどこかチャラチャラしてて好みではありません。

何故行ったかといえば、たまには聴いておくか、という程度でした。

指揮ベルトラン・ド・ビリー
演出・美術・照明フィリップ・アルロー

ヴァルトナー伯爵 妻屋秀和
アデライデ 竹本節子
アラベッラ アンナ・ガブラー
ズデンカ アニヤ=ニーナ・バーマン
マンドリカ ヴォルフガング・コッホ
マッテオ マルティン・ニーヴァル
エレメル伯爵 望月哲也
ドミニク伯爵 萩原 潤
ラモラル伯爵 大久保光哉
フィアッカミッリ 安井陽子
カルタ占い 与田朝子
合唱新国立劇場合唱団
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団

ブルーを基調にした舞台ということで、パリで観たアラベラと同じ色合いだったこともあり、どうしても比較してしまうのですが、ブルーの分量が違うだけで印象が随分と違うものです。
ブルーの分量が多すぎて野暮ったく、セットの質感もチープに見えてしまいました。
バスティーユの方が舞台から遠い席だったので、セットがチープだったとしても気づかずにすんだのかもしれませんが、アラベラの衣装が同じブルーでもパリでは背景が青より白の分量が多く、舞台でドレスが映えていたのに、背後の青の分量が多すぎてせっかくのドレスも逆にくどく感じてしまいました。

指揮のビリーは歌手に度量を発揮してもらおうという意図のようで、特にコッホには全面的な信頼をもって歌わせていて、コッホが中心の舞台で劇的信憑性が重視されていたような印象でした。
気になったのは演出で、その他大勢の動きがショーのような動きをするのがなんとも古臭いような・・・
そういえば同じアルロー演出の『ホフマン物語』でもショーのようなダンサーの動きが気になったのですが、一昔前の演出と思ってしまうのは[猫]くらいなのかな?

タイトルロールは良かったと思うのです。
パリで聴いたアラベラ役がしっかりと歌ったのは最後だけで、あとは声を発していたという印象しか残ってなく、タイトルロールといってもアラベラは大した役ではないと思ってしまったのですが<(_ _)>
ガブラーは高音が少々強引で不自然と思うときも多少ありましたが、アラベラ役とはこんなにしっかりと歌う役なのだと気づかせてくれました。

他の出演者の人たちも良かったのですが、シュトラウスは『影のない女』『ダフネ』『エレクトラ』などのほうがず~っとよいという個人的好みに変化をもたらすには至りませんでした。




ラインの黄金(コンサート形式)・・東京文化会館・・2014/4/5 [オペラ]

1年以上前の公演ですが、メモ書き程度に書き残しておきます。

指揮:マレク・ヤノフスキ
ヴォータン:エギルス・シリンス
ドンナー:ボアズ・ダニエル
フロー:マリウス・ヴラド
ローゲ:アーノルド・ベズイエン
アルベリヒ:トマス・コニエチュニー
ミーメ:ヴォルフガング・アブリンガー=シュペルハッケ
ファーゾルト:フランク・ヴァン・ホーヴ
ファーフナー:シム・インスン
フリッカ:クラウディア・マーンケ
フライア:藤谷佳奈枝
エルダ:エリーザベト・クールマン
ヴォークリンデ:小川里美
ヴェルグンデ:秋本悠希
フロースヒルデ:金子美香
管弦楽:NHK交響楽団

舞台最後方にズラ~~~っと並んだアンビル、下手には6台のハープ。
コンマスがキュッヒル氏にそっくりな人もいるものだなー・・・・
と思っていたら、なんとご本人だったという^^;
いろんな意味で壮観な舞台でした。

これがサクサクと速い演奏で、時計を見たら2時間15分で終わってしまったのですが、コンサート形式ということもあってか速すぎるのはそれほど気にならず、明晰で緊張感が続いた演奏でした。
一方で重厚感という面は希薄で巨人族のイメージもせいぜいアントニオ猪木かジャイアント馬場サイズでしたが、N響にドイツのオケのような重厚感を求めることはそれほど意味のあることではなく、これがヤノフスキに導かれたN響のワーグナーの良さと納得できるものでした。

歌手ではアルベリヒ役のコニエチュニーが物語のキーパーソンとして説得力ある歌唱で存在感充分。
演奏の速さゆえなのか?シリンスとマーンケが神々というより普通の夫婦のような印象になってましたが、それも面白いと思えました。
エルダ役のクルマンの姿が見えず、座っていた席の下の階で歌っていたとのことで、エコーがかっていたのはおそらく音響調整していたと思うのですが、不自然というよりむしろ役柄的にエコーがが効果的でした。

ヤノフスキがバイロイトでリングを振ることになって興味が増すところではありますが、演出つきでこの速さの演奏は難しそうで、コンサート形式だからこそという面もあった貴重な公演でした。