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オテロ・・・Opernhaus Zürich・・・2012/1/1 [オペラ]

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Conductor Massimo Zanetti
Producer/production Graham Vick

Barbara Frittoli (Desdemona), Judith Schmid (Emilia); Jose Cura (Otello), Thomas Hampson (Jago), Stefan Pop (Cassio), Benjamin Bernheim (Rodrigo), Pavel Daniluk (Lodovico), Tomasz Slawinski (Montano), Evgeny Sevastyanov (Ein Herold)

この公演が今回の旅行で最後の公演です。
全部書き終わる前に、オペラどころではないという生活に戻ってしまいましたが、
正直申しまして、公演中寝ましたので、感想というほどのものは書けません。

フリットリ、クーラ、ハンプソンと揃えば、これまた豪華キャストです。
フリットリはスカラで出演後、ここでデズデモーナと忙しいことですが、まるで今回の旅行はフリットリの追っかけのようになりました。
指揮のガッティが急病ということで、ザネッティに変更になりましたが、ザネッティは以前ここで西部の娘」を聴いたことがあって、良い印象が残ってます。
ただ昼は別の公演をやっていたわけですから、ほとんどぶっつけ本番ではないでしょうか。
プレミエは昨年の10.11月だったわけですが、キャストはフリットリはこのシリーズからの参加ですが、クーラ、ハンプソンはプレミエと同じです。
しかし、指揮者が急な変更となると、コンセプト云々は後回しでしょう。

それ以前に・・・・
[猫]の最大の問題はやはり劇場の音響でした。
既に昼間の公演で[猫]の耳は黄色信号だったわけですが、この公演の途中から完全に赤信号・・・・・
ここチューリッヒのサイズはバロックやベルカントものには適していますが、ヴェルディはもっと大きな劇場で鑑賞したいものだと思いました。

席は2階席の最後列。
かぶり席なので、音響も少しは響かないかと期待したのですが、甘かった。。。。

オケの音が良いと感じたことがない、と書いたことがありますが、少々能天気、繊細さにに欠ける響きというところです。
声もよく通るので、スカラで調子が今ひとつだと思われたフリットリも、どの音域でも伸び伸びと、声を均質に響かせ、調子良さそうには聴こえます。
しかし、均質すぎるのです。
まるでマイクを通しているような響きになってしまって、細かなニュアンスに乏しく、スカラでの声の方が美しかった。
こんな感想を持つのも少し前にスカラで聴いてしまったがため・・・ではありますが・・・・
歌が命のヴェルディで歌声のニュアンスが乏しくてどうする。。。。と思うのですヨ。

そして勘弁してほしかった、コーラス。
うるさーーーーーーい!
ここのコーラスは揃っていて、きれいだと思うことが多いのですが、大人数のコーラスは迫力という段階を超え、
うるさい!デリカシー欠如も甚だしい。
指揮者が急に変わっても、コーラスの責任者はいるはずなのに、何故????
観客は難聴のじいさん、ばあさんばかりではない・・・ちゅーの。。。

ここまで書いて、我ながら笑えるのは自分自身にデリカシーだの繊細だのという要素は全くないくせに、ようこんなん書くわ・・・というところ。
耳はデリケートなんです!
耳が辛い・・・・・
耳を抑えて鑑賞することに・・・
Zzzzzzzzzzz・・・・・・・・
ということです。
結局ヴェルディは今回も子守唄。

スカラで聴く前、また耳が元気なうちに聴いていれば、もっと楽しめた公演だったのかもしれません。
これだから旅行計画は公演だけでなく、巡る劇場の順番まで考えたほうがよいのでした。
今回はスカラに行くことになってしまったのが、この「オテロ」の散々な結果につながった感があります。

ただ元気な耳で聴いたら、あのコーラスも迫力あるぐらいで済んだかどうか?は疑問です。

かくして、この豪華キャストをしてもヴェルディ=子守唄だったわけですが、
考えてみると苦手というわけでもないのですよね・・・・ただ眠いだけで・・・・一緒か???
まぁ、そのうちドレスデンの「リゴレット」を超える公演に巡り会えるかもしれず・・・
眠けりゃ眠いで、寝てしまえばよいだけのこと・・・・
お気軽にこれからも聴きたければ聴く、聴きたくなければ聴かない・・・・と。

この公演では特に演奏が爆演だったということでもなく、音楽自体、ブンチャッチャ感もほとんどなく、流れも良かったとは思うのですが・・・・響きが耳に堪えた(v v ;
タイトル・ロールのクーラは好調、オテロを歌わせたら最高峰でしょう。
フリットリもモーツァルトより、ヴェルディの方が似合うのだろうと思います。
ハンプソンも綺麗な善人声なのですが、その姿と雰囲気が嫌なヤツという味を出していて、好演だったのだろうと思います。
シュテファン・ポップはハンブルグの「椿姫」でヴァルガスの代わりにグルベさまの相手役に抜擢された人です。
[猫]が観た日だけはいつものお相手、ブロスだったのですが、その時ドイツでは新人が抜擢されたとニュースになってました。
楽しみにしてましたが、なるほど、良い声です。
でもこれといって大きな特徴がないような?・・・・
なんて思っているうちに寝てしまいましたから・・・・
感想も中途半端・・・だろう、だろう・・・ばかり・・・・。

演出が現代に置き換えられ、湾岸戦争、イラク戦争を連想させます。
それほど違和感はなかったのですが、途中で羊の絵が書いてある看板が置かれ、
白い羊+白い羊=v(チェック・マーク)
白い羊-黒い羊=v
白い羊+黒い羊=×(バツ)     
このような暗示とも呼べないもの、これが舞台の左3分の1以上を占めるくらい大きく、ドンと置かれているのはかなり邪魔くさい。
なんなんでしょうか?この幼稚園児用の看板は?

一方で4幕の演出は何もない空間で印象的でした。
舞台中央で、フリットリは黒の下着姿(スカラでも見たなー・・・でもスカラはサイドにレースがほどこされたものだったけど、こちらはなし)になり、真っ白なウェディングドレスに着替えながら歌います。
ウェディングドレスは冒頭、登場時にも着ていたもの。
クーラとフリットリの2重唱「今夜の祈りは済ませたか?」
自らの愚かさと絶望感で、デズデモーナを抱いたまま自殺するオテロ。
フリットリもクーラも良かった!
この最後の場面だけでも堪能させてもらったということで・・・・。

最後はなんともヨーロッパらしい終わり方。
演奏が終わり、幕がスーっと降りる。
降りきってもしばらく拍手がありません。
あれ?みなさーん?起きてますかー?[猫]は起きましたよー。
と、これはもちろん冗談。
席から指揮者の姿は見えませんでしたが、指揮者がタクトを下ろすまで、きちんと誰も拍手をしなかったのでしょう。

カーテン・コールはブラヴィーが飛び交いましたが、比較的あっさりめ・・・。
[猫]同様、耳が音の圧迫から開放されて、ホッとしていた人もいるかも?
それこそスカラで鑑賞できたら、さぞかし良い公演だろうなーと思ったのでした。

次の日、トムヤムクンを飲んだら、辛さが耳にしみました。

劇場的都合不都合 / 狂気じみた人たち・・・Opernhaus Zurich・・・2012/1/1 [オペラ]

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「劇場的都合不都合」のカーテンコール、左からフレドリッヒ、シャーリンガー、カヴァレッティ

Conductor Paolo Carignani
Producer/production Martin Kusej

Mandy Fredrich (Daria); Anton Scharinger (Agata); Mariana Carnovali (Luigia); Massimo Cavalletti (Procolo), Gezim Myshketa (Biscroma Strappaviscere), Christoph Strehl (Willibald), Thomas Lichtenecker (Pippetto), Morgan Moody (Cesare Salzapariglia), Davide Fersini (Impresario), Paolo Rumetz (Theaterdirektor); Eva Liebau (Norina), Katharina Peetz (Cristina); Davide Fersini (Darlemont), Cheyne Davidson (Blinval), Gezim Myshketa (Venanzio), Ruben Drole (Eustachio), Paolo Rumetz (Frank)

ドニゼッティのマイナー・オペラ・ブッファの2本立てです。
聞いたこともない演目で、題名もWikiで調べました。
原題はLe convenienze ed inconvenienze teatrali と I pazzi per progetto です。
チューリッヒ歌劇場はこういった滅多に上演されない演目も積極的に取りあげる歌劇場です。
この公演はVolksvorstellungという、大変リーズナブルな値段設定の公演でした。
同日の夜の公演がザイフェルトとフリットリの共演と大変珍しい組み合わせの「オテロ」だったので、チケットを早めに購入したのですが、この昼間の公演はお得感もあり、ついでといってはなんですが・・・観ることにしました。

ところで、「オテロ」の方はザイフェルトが早々に降板してしまいましたが、プレミエを歌ったクーラですから、文句のつけようがありません。


昼の公演は2作品ともドタバタ喜劇ですが、「劇場的都合不都合」は冒頭でダリア役、「狂気じみた人たち」は最後にノリーナ役のソプラノがコロラトゥーラを披露する長いアリアがあり、聴かせどころとなっているのが、ドニゼッティのこだわりというところでしょうか。
その他、数多くの男性歌手陣がドタバタと入れ替り立ち替り登場するのですが、テノールは「劇場的都合不都合」に一人とカウンターテノールが一人いるだけで、どちらかというと二人ともチョイ役。
圧倒的に低音の男性陣に目立つ役が多く、「狂気じみた人たち」にいたっては、テノール出番なし。

バイエルンの日本公演「ナクソス島のアリアドネ」の演出が幕が上がる前から舞台ではじまってましたが、「劇場的都合不都合」は劇場の内輪話ということで、同じ手法がとられてました。
オーケストラのメンバーも私服で、舞台上の人達と話たり、お酒の瓶をやりとりしたり・・・・
開演時間直前に赤いTシャツのスキンヘッドがオケ・ボックスに降りていったと思ったら、指揮のカリニャーニ。
新国の公演はキャンセルしてしまいましたが、カリニャーニの指揮も楽しみだったので、観ることにしたのでした。
舞台上にも指揮者役の人がいますから、演奏が終わって拍手、という場面ではカリニャーニも指揮者役の人に拍手してました。

覚えている範囲で、ドタバタの様子を少しご紹介すると・・・
舞台上で台本が飛び交ったり・・・
指揮者から歌手へ、音が違う、もっと低く、もっと、もっと・・・といったやりとりがあったり・・・
ルイジアというソプラノの母親が劇場に入り込んで、娘のソロを要求したり・・・
(この母親役はバリトンですが、これは今回の公演に限らず、バリトンが女性を演じることになってます。
これを演じるシャーリンガーがごついので、なんともおかしい)
そして何故か母親が舞台に出ることになったり・・・
他にもテノールが出演できなくなって、ダリアの旦那(Procolo)が出演することになったり・・・・
リハーサル場面になると、がらりと舞台が華やかになるのですが、
途中でヘマをやらかして、演奏が止まり・・・まーったく何やってんだ・・・他の出演者のため息まじりのグチと文句で舞台はガヤガヤ・・・・どこからやり直すか、オケに声をかける指揮者役・・・
この間、演奏は全く流れずガヤガヤするので、観客もちょっと一息・・・
再開されても、歌手が台詞を忘れてプロンプターに頼ったり・・・
結局、劇場はドタバタの末、公演は大失敗。(もちろん劇の中の公演のこと)
こうなってしまっては投資家への返済は困難、逃げるが勝ちとばかり、劇場関係者や劇団員は全員トンズラ・・・という話。

ダラダラと書いてしまいましたが・・・
実際にダラダラと・・・・さもありなんのドタバタ満載。
出演者の演技がおもしろいので、観客からは笑いがもれます。
特に[猫]がいた最上階では一人のおばあちゃんにバカウケ、フッフッッフックックックッと笑いのツボにハマッてしまったらしく、いつまでもそのおばあちゃん一人の笑い声だけが響いてました。
肩のこらない、お気軽なドタバタ喜劇なので、それほど気にもなりません。
 
なんといっても一番目立っていたのは母親役のバリトン、シャーリンガーですが、他の出演者の演技も声もなかなか良いので、楽しめる公演でした。


「狂気じみた人たち」ではカリニャーニもオケのメンバーも正装にお着替え。
セットは、「劇場的都合不都合」の最後の場面のセットがそのまま使われ、精神病院が舞台です。
「劇場の好不都合」とは全く別の話なのですが、金網の向こうの精神病棟には、「劇場的都合不都合」に出演した人達がウロウロ・・・・・・逃げたはずが、全員精神病棟行き・・・といった顛末の演出になっているのはご愛嬌。
内容は医者の姪の夫婦がお互いの気持ちを確かめ合うドタバタ・・・
さらに、脱走兵が紛れ込んできて医者に化けてドタバタ・・・

歌手の人たちはこちらもなかなかの出来で、中でもEustachio役のドロールが東洋人のように見えるのですが、存在感のある人でした。

両作品ともイタリア人だったら、抱腹絶倒で楽しめるのでしょう。
上演されること自体、ほとんどない作品ですから、良い機会であり、カリニャーニ指揮の演奏は終始心地よく軽快に流れ、これがイタリア的な演奏なのだろうなーと思いつつ・・・
ずーっとドタバタがダラダラと続くので、少々飽きたというのも正直なところ。
「劇場的都合不都合」ではあんなに笑っていたおばあちゃんも飽きちゃったのか?
後半は笑い声も少なめになったような・・・・・



それより、途中、[猫]の耳には軽く違和感発生。
以前アン・デア・ウィーン劇場でも同様の疲労感があったのですが、小さな劇場の響きというのは、耳に負担になるときがあります。
[猫]は耳だけ虚弱体質、デリケートなのです。(そう思い込んでいる)

オリー伯爵・・・Opernhaus Zürich ・・・2011/12/31 [オペラ]

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Conductor Muhai Tang
Producer/production Moshe Leiser, Patrice Caurier

Cecilia Bartoli (La comtesse Adèle), Rebeca Olvera (Isolier), Liliana Nikiteanu (Ragonde), Teresa Sedlmair (Alice, une paysanne); Javier Camarena (Le Comte Ory), Oliver Widmer (Raimbaud), Ugo Guagliardo (Le Gouverneur); Elisabeth Meyer (coryphée S1), Bettina Schneebeli (coryphée S2); Aaron Agulay (coryphée B1), Armando Pina (coryphée B2), Ilker Arcayürek (coryphée T), Jan Rusko (Gérard), Patrick Vogel (Mainfroy)

いやー・・・・おもろかったー!

カマレナ最高!
ミスター・ジョーダン!
冗談じゃなく、登場したときから冗談かと思いましたよ。
黒い丸型のサングラスを掛けた太めの亀仙人みたいなのが舞台にいて、遠目では日本人のように見えたのですが、これが声の良いテノール・・・
え?・・・ハイ?・・・・
この日本人のように見える太目の亀仙人が主役?

3月にメトで観た演目ですが、この作品は大きな劇場より、ここチューリッヒのような小さめの劇場で鑑賞したほうが楽しめる演目だと思いました。
演出はメトのように洗練されたものではありません。
バタくさいドタバタです。
時代は1940年くらいか?
キャンピングカーに十字架が掲げられていて、オリー伯爵が化けている聖者の移動教会です。
そして、胡散臭い太めの亀仙人。
洗練とはほど遠い・・・^^;
移動教会だかなんだか?キャンピングカーの中はバーかサロンのようなソファーが置かれてます。
2幕はアデル伯爵夫人邸宅の居間にセットが変わり、落ち着いた雰囲気ですが、ドタバタは変わらず^^。

これがタン指揮による演奏のテンポが低速から高速まで、ギア・チェンジが素晴らしい。
トップに入ったときの転がり感は痛快!
正直、音の良い劇場だと思ったことはありませんが(それほど悪いと思ったこともありません)、
それが何か?というくらい勢いとノリがよい!

この亀仙人かと思われたカマレナ、
声はフローレスより温かみがあり、庶民的・・・(姿のせいもある。)
ハイC,ハイD,バシバシ!
前日フローレスを聴いたばかりですが、
この小さな劇場で聴くとフローレスよりずっと勢いと力があります。
かなりのインパクトですが、アジリタはアバウトでこの辺は圧倒的にフローレスの勝ち。
しかし、こちらも演奏と一緒。
アバウトですが、それが何か?
全く構えず、ノリノリで歌っているからおもしろい!
太めだったのは変装でお腹にクッションを巻き付けていたからですが、
それを取っても少々コロッとしていて愛嬌タップリの人です。
キーちゃん(キフィエチェン)も少し東洋的で、キアヌ・リーブスと朝青龍を足して2で割ったような雰囲気のある人ですが、遠めで見ていると、カマレナはキーちゃんを少々太めにしたようにも見えます。
舞台のノリノリ感は亀仙人というより、大人になったクレヨンしんちゃん

この公演を観た最大の目的は久々にバルトリを聴きたかったからですが、
来た甲斐があったというものです。
相変わらず、コロコロコロコロ・・・アジリタは抜群です。

チューリッヒではお馴染み、アンサンブル・メンバーのオルヴェーラは、こういった楽しい演目ではいつも活躍してくれます。
ソプラノですが、愛嬌のある声でコメディにはうってつけです。

カーテンコールで最後に登場したのはタイトル・ロールのカマレナだったわけですが、
主役はバルトリではなく、間違いなくカマレナでした。


この日は大晦日、カーテンコールの舞台上、ペレイラ総裁?(遠かったので確認できませんでした)がご挨拶。
出演者全員、シャンパンで乾杯した他、客席を出ると、観客にもシャンパンが用意してありました。

カマレナがネグリジェのような衣装の裾を両手でもって、小さく横にスイングするような仕草で、公演の成功を喜んでましたが・・・
完全にクレヨンしんちゃんが入ってました。

この前に音響に悩まされることとなったと書いてしまいましたが、この日は全く問題なかったのです。
問題は次の日。
なんのことはない、贅沢のしすぎであって、この日で帰ればよかったのでした。
欲張りすぎの自業自得というところかな?

シャモニーのリンダ・・・Gran Teatre del Liceu ・・・2011/12/30 [オペラ]

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Conductor Marco Armiliato
Stage direction Emilio Sagi

Linda Diana Damrau,
Carlo Juan Diego Flórez,
Pierotto Silvia Tro Santafé,
Antonio Pietro Spagnoli,
Boisfleury Bruno de Simone,
Il Prefetto Simón Orfila


この公演こそ最大の目的。
こちらの方がドンジョよりも豪華キャストじゃありませんか?

「シャモニーのリンダ」は上演回数が少なく、グルベローヴァによって復活されることとなったと書いてあるのを見かけたことがあります。
でもソプラノだけでなく、テノールにもハイC、Dが随所に要求され、ソプラノとテノールの二人揃わないと難しい演目に思えました。

この公演はダムラウ、フローレスというスターを揃えただけでなく、スパニョーリ、デ・シノーネ、オルフィラと脇もかなりの充実ぶり。

ダムラウのメト日本公演のルチアが感動を観客に与えたことは、まだ記憶に新しいことと思います。
メト日本公演は歌手が自由にそれぞれ歌っていたために、耳慣れたものとは少々異なる部分もあり、ダムラウ流のルチアという印象が残りました。
もちろんそれが感動的だったので何ら文句はないのですが、デヴィーア、グルベローヴァ、デセイのようなベルカント・コロラトゥーラ歌手といってよいのか?というボンヤリとした疑問が残りました。
あくまで個人的な思い込みなのかもしれませんが、耳慣れた流れでも聴いてみたいと思ったのでした。
ベルカントの作品は、演奏も歌もアクセントやテンポの変化が自然な範囲で流れたほうが美しい気がするのです。

このリンダという役はボアフレリー侯爵の誘惑をきっぱりと拒否する気の強さがあった方が説得力のある役ですし、狂乱の場もアクセントを時折強く歌う曲なので、ダムラウにはピッタリの役です。
狂乱の場の曲がダムラウのために作られたかのように思えるくらいです。
普通の流れと違うと思われた部分は狂乱の場の冒頭、かなりゆっくりと、間を充分とり、アクセントを強く、一音一音はっきりと歌ったところくらいだと思います。
父親から見放されたこと、カルロに裏切られたことのショックで床に倒れた後、そのままの状態で歌うので、この歌い方は、受けた心の傷を語るのに十二分すぎるほどの効果を発揮しました。
その後も時折、叫びのように強くアクセントを効かせた歌は痛々しさに溢れます。
途中で部屋からウェディングドレスとベールを持ち出し、取り乱し、着替え、最後はさなぎのようにベールでぐるぐる巻きになって歌い終えた姿に、観客からは鳴り止まない拍手とブラヴァーの嵐が・・・・
いつものようにフローレスへの拍手も長かったですが、一番長かったのはこのダムラウの狂乱の場の後でした。

コロラトゥーラも聴かせてくれたのですが、全体の印象として、いわゆる正統派ベルカント・コロラトゥーラ歌手なのか?という疑問はぬぐえませんでした。
クリスタルのような硬い輝きが魅力の声だけに、こういったアクセントが強い曲があると、その声の魅力の方が強く印象に残ってしまうからかもしれません。
ダムラウ自身、そういった系譜にこだわらず、自分流を貫きたいというはっきりとした意志があるようにも思えました。
ダムラウ流でも充分に素晴らしいものです。
ルチアをもう一度という他にもエルヴィラ、ヴィオレッタ等、今後も聴いてみたいものです。

一方のフローレスは・・・
んまぁー・・・いつだったかしら?海水飲んでしまったのは???
なんだか絶好調だったわー。
ハイC,ハイD、バシバシ決めまくり。

ダムラウとフローレスのコンビはさらに進化をしたのではないかと思われたのが、ニ重唱「君に会ったあの日から」です。
二人の声が交互に強弱を変え、互いを引き立てあう妙は心地よく、素晴らしいものでした。


アリアをゆっくり、でも大変流れが良く思えましたが、アルミリアートの指揮ぶりに加え、デ・シモーネの存在がそういった印象になった大きな要因だと思います。
柔らかな美声の早口の歌いっぷりは実に小気味よく、心地よいものです。
新国の「チェネレントラ」にも出演してましたが、憎まれ役でも本当は良い人、という役柄にはピッタリ。
少々気の強いダムラウ・リンダとの掛け合いも聴き応えがありました。

もう一人のベテラン、スパニョーリは今までコメディで素晴らしさを堪能させてもらったことはありますが、今回は様子がガラリと変わり・・・
最初、声そのものが違うのでちょっと驚いたのですが、残念ながら声が少々荒れていて調子が良くないようでした。
それでも貧しさゆえの苦悩、娘への愛情ゆえの苦悩など、複雑な役どころはしっかりとおさえて存在感を示す人です。

オルフィーラは「アンナ・ボレーナ」のヘンリー8世で聴いた人です。声に威圧的な凄みがある人なので、ヘンリー8世の時のほうがよさを発揮できる人だとは思いましたが、今回も充分の出来でした。

ピエロット役のサンタフェも良かったです。

演出はパステルカラーで統一され、落ち着いて見ていられるものでした。

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カーテンコールはもちろんブラヴィー!




ところで、2月にリセウに来たときは、チューリッヒで聴いた後で、良い音がする劇場という感想を持ちましたが、今回、スカラの後で聴くと、特に良い音とも思わず、普通の劇場でした^^;
音には結構・・・いえ、かなり・・・妙にこだわることがあって、
良い音の劇場の後に悪い音の劇場に行くと、かーなーり、ムカつくことがあります。
前日に音の良い劇場で聴いたがために、他の劇場で評判のよい公演に一人でブツブツ言ってしまうときもあります。
音が悪いと、歌手の声もきれいに聴こえないときがあるのです。
このリセウはスカラに比べると劣りますが、けっして悪くはありません。
でも今回はこの後、チューリッヒで小さい劇場特有の音響に少々悩まされることになるのでした。
詳しくは追って・・・・

ドン ジョヴァンニ・・・Teatro alla Scala ・・・2011/12/28 [オペラ]

Conductor Daniel Barenboim
Staging Robert Carsen

Don Giovanni Peter Mattei
Il CommendatoreKwangchul Youn
Donna Anna Anna Netrebko
Don Ottavio Giuseppe Filianoti
Donna ElviraBarbara Frittoli
Leporello Ildebrando D’Arcangelo
Zerlina Anna Prohaska
MasettoŠtefan Kocán

BS放送された公演ですが、こらえ性もなく、放送は観てしまいました。
ルー大柴ふうに放送を見た感想を書くと、
ゴージャス・キャストがトゥギェザーしちゃうと、トゥー・マッチ・コレステロールじゃない?
はてさて実演鑑賞ではどういう感想を持つのでしょうか?


バレンボイムがオケ・ボックスに立ち、観客に挨拶すると、当然のように拍手が沸いたわけですが、
一人、中央の通路をバレンボイムのほうに向かって、拍手しながら堂々と歩いていく人が・・・・
バレンボイムは無視して序曲を始めてしまいました。
慌てて席につこうとしているように見えたのですが・・・・
そのまま舞台へ・・・・
マッティ・・・・
放送では客席から上がってきたようには見えなかったので、ちょっとびっくりでした。
この舞台前面に鏡を置いた登場シーンは美しく、迫力があり、印象的です。

放送では重い印象が残った演奏でしたが、
なんのなんの・・・拍子抜けするほど、軽く、柔らかく、スカラの音は上品です。
そうでした。去年も同じ感想をもったのでした。
お茶の間の音響では残念ながらわかりませんね。
(来たくても来れない方、ムっとしないでくださいね。)

それがあまりに心地よく、軽やかに流れたからでしょうか?
序曲に左隣の女性が体をゆらしながら・・・指揮を始めてしまいました!
つい、先日コメントをいただいて、そのことを話題にしたばかりでしたが、実際に遭遇するとは。。。
でも、すぐに我に返って止めてくれたので、よかったです。

右隣は途中、マッティと一緒に歌いだす。。。ハ?
これはこれで、公演にのめり込んでしまったからでしょうか?
こちらも小さな声がもれただけで、すぐに我に帰ってくれて止めてくれたので、よかったです。

ゆったりめのテンポはは大変上品でクラシックな公演をイメージさせるものでした。
目を瞑れば、歌手がモーツァルトの時代の衣装を着て、優雅に歌っているかのよう・・・・。
スカラの美しい音で彩られる歌声は極上です。(観たくても来れない方、再度スミマセン)

フリットリの声のコントロールは見事です。
現代的な演出で、演技に集中して、大袈裟な動きをしているのに、
目をつぶれば豪華なドレスを身につけ、舞台で動かずに歌っている姿が浮かびます。
少々高音が疲労しているようなやつれがあって、好調ではなかったと思いますが、
それでも終始聴いていて心地よいものでした。
下着姿でいなくてはいけないことが多いので、シェイプ・アップしたでしょうから、そのせいで体力不足になってしまったかしら?

キャストがターフェルからダルカンジェロ、ネトレプコからイヴェリに変更になったことも軽いイメージになった要因かもしれません。
ネトレプコに比べたら、イヴェリはずっと軽いですし、ターフェルも素晴らしかったですが、ダルカンジェロの方が洗練されたイメージとなります。

イヴェリは2回聴いたことがあって、もう少し声にふくよかさがあった印象があるのですが、今回は細く、痩せているように思えてしまいました。
これはネトコを放送を聴いたあとだからかもしれませんが・・・・。
放送でのネトコは声の魅力を充分に発揮していましたが、音が低くぶれるように聞こえるときがあって、この調子だったらイヴェリの方が良いかと思ったのですが・・・・
イヴァリも本来の調子とまではいかなかったようです。
でも決して悪いという印象ではなく、好演だったと思います。

プロハスカの愛らしさは役柄にピッタリ。

でも、この公演はなんといってもマッティ&ダルカンジェロ!

マッティについては、放送でも十二分に声の美しさも、かっこよさも伝わってきましたが、
ダルカンジェロがこれまた素晴らしかった!
わが意を得たり、水を得た魚のように、こともなげに、その声をなんと深く響きわたらせることか。
今までも、もちろん良い声を聴いてますが、歌うときに上をむいて、目をつぶって両手を広げ、一生懸命声をだしてます、といったように見える時もありました。
今回は自然な演技のまま、なんの気負いもなく、さらりと、今まで以上に声を際立たせて響かせました。
ここスカラはダルカンジェロの劇場です。
劇場によって、どの音域(周波数)が響きやすいかが異なるものですが、ここまではっきりと違う人も珍しいかと・・・・。
今まで3回聴いてますが、それが全て調子が今ひとつだったとは考えにくく、明らかにダルカンジェロはウィーン、シャンゼリゼ、ザルツの劇場より、スカラでこそ本領を発揮するように思えました。
もちろん他の要素、調子の良さやバレンボイムと息が合ったなど、も考えられるかもしれませんが、
このスカラで歌う感覚が他の劇場では得られないので、天井を向いて声をはるように歌ううときがあるのかも?とも思ってしまいました。
ウィーンでタイトル・ロールを歌っていたときよりも、ずっと輝いてましたが、それは役柄によるものというより、スカラで歌っているからで、20、23日とマッティに代わってタイトル・ロールを歌ってましたが、タイトル・ロールでも、きっと素晴らしかったことでしょう。
その品格のある声とバランスのとれた容姿で、一人で歌っていると野性的でかっこよく、大柄に見えますが、実はどちらかというと、小柄です。
これが大柄なマッティとコンビを組むと、いたずら小僧のようにかわいらしく見えて、違った魅力もみせてくれます。
二人が衣装を変える時はサイズが全然違いますから、どうなることやら?・・・でしたが
ダブダブのズボンをウエストで何回か折り返して着ていて、そのトボケタ雰囲気は、かなりイケテました。
言わずもがな、何よりイタリア人、言葉自体のもつ響きを美しく、上手く表現するのはお手のもの。
観客からは自然と笑いがもれます。

一方キツキツのズボンをはくことになるマッティは、息をしたら弾けるというほどキツキツに見えるのですが・・・
このキツキツズボン姿で、極上のセレナード「窓辺に出でよ」を歌うのです。
歌手はお腹で歌うと思っていたので、歌いにくいのでは?とか、ズボンが弾けないかしら?とかなり不安でしたが、そのパツパツの腹部周辺はなんの影響もなく・・・・
うっとり・・・・・

ところでスカラというところはアリアの後に拍手が必ずある劇場ではなく、あったり、なかったりです。
「シャンパンの歌」の後はブラヴォが出て拍手でしたが、この極上のセレナードの後はありませんでした。
余韻を味わっていたのでしょう。

今回はほとんど影の存在、といったバレンボイム親分ですが、後半になるとアリアでテンポを換えることが随所でみられました。
歌手はよく自分のものにしていましたが、ドンナ・アンナについてはネトコ仕様、ネトコが良さを発揮できるテンポかな?と頭をよぎりました。

圧巻はドンジョ地獄落ちのシーン!
マッティ&ユン!
これが最初の軽さはどこへいったか、というほど重く、凍りのように冷たく、息をのむ緊張感に包まれます。
影の存在のバレンボイム親分の本領発揮というところでした。
特別アクセントが強いわけでもなく、極端な表現はありません。
うねり・・・です。
リンデンでのような、渦潮に巻き込まれるようなアップアップ感とは異なりますが・・・
重苦しい抑揚が劇場を充たしました。
冬場によくある咳き込みが時々客席であったのですが、
緊張感に咳き込みさえなくなり、客席はシーンと静まりかえりました。

マッティ&ユン、そしてダルカンジェロが加わった重唱。
お見事!
美しいものばかりで紡ぎだされる極上の迫力!
この場面だけでも鑑賞する価値があるというものです。

ユンは小柄なのですが、今まで実演で聴いたどの騎士長よりも素晴らしく、威厳と共に恐ろしい迫力があります。

最後のドンジョの地獄落ちですが、放送と違って、マッティはサイドのボックス客席に姿を消しました。
おそらく舞台装置に不具合があったのでしょう。
下に落ちていくほうがずっと自然です。

ドンジョが再登場し、他の出演者が下に落ちていく幕切れにに・・・客席からオー・・・という驚きの声が・・・・。
演出はマッティがどれだけカッコよいか、それを見せるためのものでした。

ドン・ファンは不滅なのでしょうね。

イタリア史上に名前を残すであろうドン・ファン、ベルルスコーニ前首相。
イタリアの財政難、そして補助金削減の大きな原因となった張本人でしょうが、
全てはイタリア国民の自業自得という気がしないでもなく・・・・
このドン・ファンは不滅という幕切れはイタリア国民にとっては悪夢かもしれません。


さて、リンデン組のバレンボイム親分が何故スカラまで面倒をみなくてはいけないか?
多くの子分どもをあちこちの歌劇場の親分にして、充分すぎるほどの実績を残している親分が更に縄張りを広げたいと意欲があったとも想像しがたく・・・・

スカラが補助金削減に対して政治的にも影響力を発揮できるくらいの人物、世界的にも名が通っている人物・・・
アバドもムーティもスカラとは一線を画した今、他にいなかったということか?
考えてみると、イタリア人指揮者はたくさんいますが、公演数が多く、活躍の場が多いドイツ語圏へ行ってしまう人が多いようです。
もちろんイタリア人だけでなく、世界各地から大集合といった状態ですが・・・。
イタリアでなくても、イタリア音楽の伝統をつなげていくことは可能です。
しかし、スカラの面倒をみようじゃないかというイタリア人指揮者はいないのでしょうか?

それでもバレンボイム親分・・・
スカラなんぞに長居は無用でっせ・・・
新リンデン、杮落としにはきっちりリンデンにいてもらわないと・・・・
そんなこたー心配無用でしょうが・・・・
間違っても、リンデンをやめて、スカラに・・・
なんてこたーなし!で願います。
旧リンデンの音が新リンデンでも変わらず、引き継がれていくことこそ、最大の願いです。


ところで、この公演が手放しで素晴らしかったとはいえない要素もありました。

コーツァンはミス・キャストではないかと思います。
他の出演者とは明らかに声が異質なので、重唱があまり美しく聴こえません。
その粗野な、少々野暮ったい印象の独特の声はマゼットという役に合わないというわけではないのでしょうが、他の出演者と合わないのです。
まるで白鳥の群れにガチョウが混ざってしまったような・・・・
この人はメトやウィーンなどでよく名前をみかけますし、私自身も2回ほど聴いたことはありますが、どうもいつもしっくりきません。
もちろん単なる好みの問題かもしれませんが・・・・。
エージェントが売り出したい人を有名人と抱き合わせで売り込むことがあるというのを、どこかで耳にしましたが、
このキャストもその類ではないかと穿って考えてしまいました。

数年前には聴く機会の多かったフィリアノーティですが、久々に聴くと、声は以前より、よくでていました。
ただ余裕が感じられないというか、高音で一杯一杯に聴こえて、聴いていて少々不安なのは以前とあまり変わらないような・・・・。
術後数年たってますが、頑張ってほしいです。

全体的な印象としては、スカラの上品で美しい軽やかな音色で、モーツァルトの古典的な美しさがあふれていた公演でした。
バレンボイム色が覗いたのは、後半、特に地獄落ちシーンくらいだと思うのですが、
それがインパクトが強く、バレンボイム色しっかりの公演で重いという印象が残る人もいるかもしれません。

カーテンコールはそれぞれにブラヴォー、ヴラヴィーでしたが、
昨年の「ワルキューレ」に比べると時間が短く、意外とあっさり・・・
それもそのはず、20時からの公演です。
外へでたら11時40分ですから、タクシーの列は長蛇でした。





今年もよろしくお願いいたします [雑感]

皆様にとりまして、良い年となりますよう、お祈り申し上げます。

もっと早く感想をアップしたかったのですが、ネット接続状況が悪く、できませんでした。
昨年のまとめも書いてませんが、今晩(こちらはまだ31日)も観ますので、全て見終ってからにしたいと思います。
とはいっても・・・また突然にブログ放置状態になるかも?ですが・・・
いくらなんでも今年中には書けるでしょう。

ヴォツェック・・・Theater Basel ・・・2011/12/27 [オペラ]

BLOG6664.JPG
劇場内に展示されていた写真
Musikalische Leitung Gabriel Feltz
Inszenierung Elmar Goerden

Wozzek Thomas Johannes Mayer
Andres Rolf Romei
Tambourmajor Stefan Vinke
Hauptmann Karl-Heinz Brandt
Doktor Andrew Murphy
1. Handwerksbursch Alexey Birkus
2. Handwerksbursch Ralf Rachbauer
Der Narr Noel Hernández
Marie Edith Haller
Margret Rita Ahonen
Mariens Knabe Julian Schmidlin
Ein Soldat Ingo Anders
Tanzpaar Martin Lüthi Stefanie Zimmermann
Chor des Theater Basel
Sinfonieorchester Basel


オペラどころではない生活が続いてましたが、夏にリセウの公演のチケットを購入してしまったので、来てしまいました。
スカラのドンジョはチケット販売初日は所用で参戦できず、観なくても良いとは思ってましたが、しばらくするとポッロポッロと出てくる出てくる。
最初はあまり良い席ではないので、別に観なくてよい、とパス。
次も良い席でなく、パス。
ところが、出てきてしまいました。良い席。
しょーがないなー・・・・
どうしても観て欲しいわけね。
相変わらず、意味もなくタカビーです。

スカラを次の日に控えるとなると、冬場は飛行機の当日移動は避けた方が賢明ということで、
到着日も観れる公演を探したら、バーゼルのこの公演が目にとまりました。

バーゼル劇場は現代的で、スタジオといった雰囲気のシンプルな劇場です。
オペラ専用の劇場ではありませんが、音響は気になりませんでした。

鑑賞中のマナーについては、音楽殺しの拍手こそ、ヨーロッパではほとんど遭遇したことはありませんが、こそこそと話したりするのはどこへ行ってもあるものです。
この日も案の定・・・・となりは親子。
それもまだ小学校の高学年くらいの男の子で、なんで「ヴォツェック」なんて、こんな暗くて難しい公演に連れてくるかなー?
公演がはじまって,間もなく、コソコソ・・・・
またしばらくすると・・・・コソコソ・・・・オヤジが息子に説明する声が・・・・

オヤジがほとんどハリー・ポッターに登場するハグリット・・・・
「座ってください・・・・あ・・・・失礼・・・座ってらっしゃいましたね。」
というくらい大きい。
席が2階席の最後列(といっても4列目)で、後ろに座る人に迷惑をかけてはいけないと、自分の身の丈を知っているという点では、このオヤジは心得た人です。

結局のところ、この親子を黙らせてくれたのは公演そのものでした。
最初の2回のコソコソの後は親子とも集中して、ビクともせず、ガン見。

「ヴォツェック」は初鑑賞ですが、それくらい演奏も出演者のパフォーマンスも良かったと思います。

演奏のアクセントと間の取りかたが巧妙に演出とあっていて、緊張感が途切れることはありませんでした。

とはいえ、ベルクの音楽です。
飛行機の中で寝られなかった身としては、ツライ時間があったことは正直申告しておきます。

T・J・マイヤーは新国でも同役で出演したかと思いますが、私自身は観てません。
何回か聴いた印象は、どことなく安心できる懐の深さのある声だと思ってましたが、今回は歌うというより、メロディをつけて台詞を言っているようなものなので、少々印象が違いました。
以前パリでヴォータンを歌っっていたころに比べると体型もひきしまったような?
歌や声の表現と共に、演技の上手さが必要な演目だと思いますが、
見た目もバランスのとれた体型で、いかにも人が良さそうな雰囲気、演技も上手です。
もちろんドイツ人ですから、メロディーをつけた台詞も勢いがあり、説得力抜群でしょう。
精神を病みつつも、マリーと子供への愛情を覗かせるヴォツェック。
そして苛立ち、焦り、心のコントロールを失っていく様子が、時折響かせる、お腹の底から吐き出すような声で強烈に表現されます。

演出は何かを象徴しているであろう動きを出演者がしたり、映像が映し出されたりすることもありましたが、こういった類は、鑑賞していてビっと閃くときもあれば、単なる想像で勝手に解釈するときもあり、ただ見ているだけのときもあります。
この到着した日は閃くはずもなく・・・・当然、見ているだけでした。

ただ、最後の死の場面がリアルに悲惨なので、個人的な感想としては、時にコミカルな意味不明の演出は、救いようのない悲惨さからの適度な逃げ道に思えました。


第三幕
親子三人で座り、そっと父親に寄り添う子供。
BLOG6693.JPG

写真はプログラムより

水色の布は最後のシーンで子供がかぶって登場するものです。












普通は場面転換して、マリーの殺害なのでしょうが、そのまま子供の目の前で、ヴォツェックはマリーののどを切りました。
子供はビクリともせず、そっと登場するうつけ者に連れられて舞台を去ります。
ところで、うつけ者役の人は見た目もラテン系、名前からしてスペイン人のようですが、aberをアーベルなんて発音してました。
うつけ者らしく、誰が演じても、ヘンな発音するのがフツウなのでしょうね。


ヴォツェック自身はどうやって死ぬのだろうと、ふと考えると、いつの間にか右の部屋に浴槽が・・・。
そ、そんな見え見え・・・じゃありませんか。
でもやめてほしい・・・見たくない・・・と思っていたのに・・・・
浴槽の中で手首を切り、苦しみあばれながら死んでいくヴォツェック。

白い壁にはいくつもの血で染まった手の後が・・・・。

他の子供達から母親の死を告げられる子供。
布をかぶり、うつけ者に馬のりになって登場した子供の姿は神が宿るかのよう・・・
全く動ぜず、無表情・・・
他の子供達を追うことなく、舞台中央で観客席をじっと見つめたまま・・・ブラック・アウト・・・

子供が子供らしい動きをしていたのは母親の浮気現場を目撃する前まででした。
その後は魂の抜け殻のよう。
時に舞台全体に映像で映し出される、無表情で瞬きをするだけ子供の顔・・・・
知ってるよ。こうなって当然なんだ。・・・舞台中央で堂々と前を見つめたままの子供の姿は、神聖な中に、恐さと痛みを残すものでした。
被っている布は、おそらくヴォツェックのもの、父親への祈り・・・
母親は神の裁きを受けたにすぎないと言っているようでした。

カーテンコールではマイヤーにブラヴォーが飛び交ってました。

ザルツのデマチで、マイヤーが2013年に「死の都」で来日するようなことを話してくれましたが、発表はまだですし、変更の可能性もあるでしょう。
でもマイヤー出演で「死の都」が観れるとしたら、嬉しいことです。

こうもり・・・新国立劇場・・・2011/12/11 [オペラ]

【指揮】ダン・エッティンガー
【演出】ハインツ・ツェドニク

【ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン】アドリアン・エレート
【ロザリンデ】アンナ・ガブラー
フランク】ルッペルト・ベルクマン
【オルロフスキー公爵】エドナ・プロホニク
【アルフレード】大槻孝志
【ファルケ博士】ペーター・エーデルマン
【アデーレ】橋本明希
【ブリント博士】大久保光哉
フロッシュフランツ・スラーダ
【イーダ】平井香織

【合 唱】新国立劇場合唱団
バレエ東京シティ・バレエ団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

オペラ?オペレッタ?
どうでもよいわ
チケット買ってあるんだった・・・
仕方ない・・・もったいないから行こう・・・

このところこんな感じでどうでもよくなってます。
それでも楽しめました。

しかし感想といっても・・・・・記憶喪失・・・

エレートは印象に残ってます。
細身でトボけたキャラがいいですねー。
歌はこの前のコジの時のほうが目立ってましたが、演技が上手い。

他の人もよかったですよ。
楽しませていただきました。

って?
それだけ?

演奏も良かった。

って?
それだけ?

ウン!それだけ。

なんだかヤリナゲ、もとい、ナゲヤリで申し訳ない気はするのですが・・・
ほんと、楽しい公演でしたヨ。

どーもスミマセンm(_ _)m

ルサルカ・・・新国立歌劇場・・・2011/11/26 [オペラ]

【指揮】ヤロスラフ・キズリンク
【演出】ポール・カラン

【ルサルカ】オルガ・グリャコヴァ
【イェジババ(魔法使い)】ビルギット・レンメルト
【王子】ペーター・ベルガー
【ヴォドニク(水の精)】ミッシャ・シェロミアンスキー
外国の公女】ブリギッテ・ピンター
【森番】井ノ上 了吏
料理人の少年】加納悦子
【第一の森の精】安藤赴美子
【第二の森の精】池田香織
【第三の森の精】清水華澄
【狩人】照屋 睦

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

簡単にいうとディズニーファンタジーでした。
良い意味80%、よくない意味20%。
良い意味というのは色彩や照明が美しく、少女の夢物語にした演出が誰にでも楽しめるということ。
よくない意味というのは深い味わいに欠けるような物足りなさが残ったこと。
よくない印象になってしまったのは最後の拍手のフライングも原因のひとつですが・・・
本当に勘弁していただきたいのですが、ガクっとチープな印象になるのですよ・・・
拍手のフライングのおかげさまで。。。。

いったい何に拍手なさっているのですか?フライング族の皆様。。。
意味がわかりませーーーーーん[むかっ(怒り)]
指揮者も演奏者も最初の一音から最後の一音まで表現しているという感覚はお持ちでない???
それ以前に作曲家が最初の一音から最後の一音まで熟慮して作り上げたという感覚もお持ちでない???
余韻を味わうという感覚もお持ちでない???

フライング拍手に対してガミガミババァと化してます・・・
畳の上を土足で上がられているような悲しさが残るのですヨ。

軽いオペラやコメディ、グルベさまやバルトリさまのお見事なコロラトゥーラの後ではさもありなんですが、やたらくたら拍手するフライング族ってトンチンカンなのか?アンポンタンなのか?チンプンカンプン。
ワグナーでやってみー・・・袋叩きでっせ・・・ははは^^。

こういったことはド素人の[猫]ごときがニャーニャーギャーギャー言ってもなんの影響力はなし。

そこで疑問に思うのは、偉い評論家の先生方はこのような状態を、我関せずと容認し続けておられるのか?ということ。
まさかフライング族だったりして?・・・・これは暴言、失言・・・失礼しました。
どなたか「フライング族を一掃する会」でも設立して意味不明の拍手の撲滅運動をしていただけないものでしょうか?
と、この嘆かわしい現状を偉い先生のせいにして、先生方にはとんだトバッチリかもしれません。
自分で会を設立すればよいじゃないかという話にもなりそうですが、貧乏暇なし、それ以前に器が小さいし、毛が生えているとはいえノミの心臓なので無理です。

劇場側もアナウンスで徹底しているとは思うのですが・・・・
とにかくオペラに行ってイヤな気分になるくらいなら行かない方が良いし、行ってもまともに聴かせてもらえないなら行く価値もないので、自然に足が遠のきます。
評論家の皆様、ならびに劇場関係者の皆様には、フライング族一掃のため、更なるご尽力をいただきたく、謹んでお願い申し上げます。

さて公演の話にもどって・・・
タイトル・ロールのグリャコヴァが濃厚な声を逞しく見事に響かせていたのですが、力づくで出してますといいう声になってしまうときがあって、この役に合っているかは?
演奏もディズニーのような明るさとパワーがあったので、元気なルサルカを求めたのか?
演奏についてはファンタジックな演出と合っていて良いと思えたのですが、グリャコヴァのパワフルさは少々浮き気味に思えてしまいました。

一方相手役のベルガーがなかなか良くて、声の美しさが頼りない身勝手な王子に合っていて、好感がもてました。

でもなんといっても、このファンタジーに一番溶け込んでいたのはレンメルトでしょう。
数年前にチューリッヒで観た「セメレ」でも、歌はしっかり、大柄で舞台栄えする上に、表情や身のこなしもインパクトがあり、タダものでない存在感でした。
今回はディズニーの絵本から飛び出してきて、このファンタジーを創りあげているかのよう。
まさに魔法使いでした。

日本人の歌手の皆さんも好演で、見応え、聴き応えのある公演だったと思います。



トスカ・・・プラハ国立歌劇場来日公演・・東京文化会館・・2011/10/15 [オペラ]

トスカ:ノルマ・ファンティーニ
カヴァラドッシ:ピエロ・ジュリアッチ
スカルピア:ミケランジェロ・カヴァルカンティ
指揮:ジョルジョ・クローチ
管弦楽:プラハ国立歌劇場管弦楽団

キャスト表がなくなってしまい、おそらくこのキャストであっていると思うのですが・・・?

オリジナルではエヴァ・マルトンが出演とあってチケットを購入したものの、来日キャンセル。
でもファンティーニも聴いてみたい人だったので、それほどがっかりもせず。
ただ来日公演が続いて少々食傷ぎみで臨んだ公演でしたが・・・

「トスカ」実演鑑賞3回目にしてようやくイメージどおりのトスカにめぐり合えました。
ファンティーニの歌声はトスカの嫉妬深さが窺える場面でもどこか愛らしさが保たれ、立ち振る舞いも女性らしい優美さを失いません。

ミュンヘンのボンディ演出の公演とフィレンツェ来日公演では、番張り疑惑の歌姫トスカでしたから^^;
スカルピア殺害後にソファに寝そべって扇子であおぐ???
肩で風きって堂々と部屋を出て行く???
演出は基本的にはどうでもよいのですが、「してやったり・・・」という演技では・・・
悲劇も自業自得!でしょ?

動揺しながらもスカルピアの胸にそっと十字架を置き、小さく十字をきる。
この公演の演出は極めてオーソドックスだったのですが、古典的な演出、現代的演出にかかわらず、殺害後にはこのように信仰心、あるいは罪の意識を垣間見せる表現であってほしいものです。

カヴァラドッシ役のジュリアッチは泣きの入り具合が絶妙。
役に集中した熱唱でこちらも満足。

スカルピア役のカヴァルカンティがハイ・バリトンで、始めのうちこそ、ちょっとイメージがあわないようにも思えましたが、立ち姿や雰囲気が冷淡さをかもし出していて、違和感なく聴いていられました。

演奏が本場イタリアと比べたら重いのかもしれませんが、自然な抑揚で歌声と重なり、一体となって作品の美しさをしっかりと伝えていた公演でした。

今年鑑賞した来日公演の中でベスト3に入る公演だったと思います。

東欧の歌劇場ということでチケット代はとてもリーズナブルだったわけですが、あらためてメトやボローニャのチケット代はいったいなんだったのか?と考えてしまいました。
震災後のやむを得ない事情はあるとはいえ、豪華キャストを売りにした公演があれほどもろいとは・・・・
歌手はそれぞれしっかりと歌っているのにチグハグ、バラバラ、おそ松くん(vv。。だったものもありましたからネ。
有名歌手の歌声を味わうだけならリサイタルの方が良いのでしょうが・・・
聴いてみたい人が来日となれば、これからも懲りずに買ってしまうでしょうか???
たぶんナイ。
ナイと思う。
ナイはずがアル。
どっちやねん???

エディタ・グルベローヴァ オペラ・アリアの夕べ・・・サントリーホール・・・2011/10/9 [コンサート]

ヤッホー[手(パー)]

2ヶ月以上更新しませんでしたが、
オペラ?ブログ?
それどころじゃありません。

大誤算です・・・・・・
チョロッと働いて大いに遊ぼうなんて甘い考えはもろくも崩れ去り・・・・
も~~~~~ヤダ・・・・こんな仕事・・・・・
ヤメテヤラー・・・・・・
またプータロウにもどろう・・・・
と考える日々・・・・・・
ただ単にその前が遊びすぎ・・・ごもっともごもっとも・・・・

ようやくちょっと暇ができたので、いまさらながらの感想ではありますが、書き残しておこうかな・・・と。

プログラム

W.A.モーツァルト  歌劇『後宮からの逃走』序曲 [オーケストラ]
歌劇『後宮からの逃走』より コンスタンツェのアリア "あらゆる苦しみが"
G.ドニゼッティ  歌劇『ロベルト・デヴェリュー』序曲 [オーケストラ]
歌劇『ランメルモールのルチア』より ルチアの狂乱の場 "苦しい涙を流せ"
G.ロッシーニ  歌劇『ウィリアム・テル』より パ・ド・シス [オーケストラ]
G.ドニゼッティ  歌劇『ルクレツィア・ボルジア』より "私の願いをきいて~彼は私の息子でした"
A.トマ  歌劇『レーモン』序曲 [オーケストラ]
V.ベッリーニ  歌劇『清教徒』より エルヴィラの狂乱の場 "あなたの優しい声が"
A.ポンキエッリ 歌劇『ラ・ジョコンダ』より 「時の踊り」 [オーケストラ]
G.ヴェルディ  歌劇『椿姫』より ヴィオレッタのシェーナとアリア "ああ、そはかの人か~花から花へ"

指揮:アンドリー・ユルケビッチ 
Conductor:Andriy Yurkevych
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
Orchestra:Tokyo Philharmonic Orchestra


この日サントリーホールに行けた人達はグルベローヴァの歌声に酔いしれ、特別な日となったに違いありません。

2009年の1月に「ノルマ」を聴いて以来、いつまで歌い続けてくれるか分からないという思いから、ほとんどオッカケ状態で「ルクレチア・ボルジア」「清教徒」「ロベルト・デヴェリュー」「椿姫」「アンナ・ボレーナ」と聴きまくりました。
その間、コロラトゥーラやp・pの巧みさはもちろんのこと、他の人達では味わえない、感情のほとばしり、といった歌声に魅了され続けたのは言わずもがな・・・。
ただザルツでコンサート形式の「ノルマ」も聴いた時、このたったの2,3年でも、同じ演目で2回聴くと、もしかすると衰え?と思う瞬間があり、今回「ロベルト・デヴェリュー」を観にいかないのもそういった理由が少なからずありました。
ハンブルグの「椿姫」では声が出にくそうで不安に思ったことも・・・。

でもそれは衰えではなく、好不調の範囲だったのでしょう。
この日のグルベさまは好調でした。
やはり人間世界宝です!
若かりし日々は技術的に今よりももっと確かなものはあったと仰る方・・・・仰るとおりなのでしょう。
でも・・・
おそらく若かりし頃では味わうことのできなかったであろう、匠の境地といった次元で、会場はグルベさまのオーラで満ち溢れてました。

指揮のユルケヴィッチは「アンナ・ボレーナ」でも自然な流れで歌手を引き立てながら劇的に展開させてましたが、今回も巧妙にグルベさまをサポート。
オケを結構厚く鳴らすのですが、そのオケの音を楽々と超える歌声のなんと気持ちよく伸びやかなことか・・・・。
特に "ああ、そはかの人か~花から花へ"は、やはりハンブルグでは調子が良くなかったのだということがハッキリと分かる出来でした。
そして個人的に一番聴けて嬉しかったのはルチア。
オペラ公演でもぜひ聴いてみたいものですが、もうないかもしれませんね。

来年のウィーン国立歌劇場日本公演にグルベさまは来日しないようですが、今ごろになってバイエルン来日公演の「ロベルト・デヴェリュー」も聴いておけば良かったなどと思ったりしてます。
でも、その時は来日公演ラッシュだった上に体調も今ひとつでヘロヘロだったのでした^^;

ナクソス島のアリアドネ・・バイエルン国立歌劇場来日公演・・東京文化会館・・2011/10/8 [オペラ]

指揮:ケント・ナガノ
演出 :ロバート・カーセン

執事長:ヨハネス・クラマ
音楽教師:マーティン・ガントナー
作曲家:アリス・クート
バッカス / テノール歌手:ロバート・ディーン・スミス
士官:ケネス・ロバーソン
舞踊教師:トーマス・ブロンデル
かつら師:ペーター・マザラン
下僕:タレク・ナズミ
ツェルビネッタ:ダニエラ・ファリー
アリアドネ / プリマドンナ:アドリエンヌ・ピエチョンカ
ハルレキン:ニコライ・ボルチェフ
スカラムッチョ :ウルリヒ・レス
トルファディン:スティーヴン・ヒュームズ
ブリゲッラ:ジェフリー・ベーレンス
水の精:中村恵理
木の精:オッカ・フォン・ダメラウ
山びこ:アンナ・ヴィロフランスキー


珍しく体調を崩し、咳がひどくて横隔膜痛^^;
少しは咳も治まってきてはいるものの、公演中に咳こんだらどうしよう・・・と少々憂鬱な気分。。。
でしたが、楽しめました^^。

小編成のオケでもシュトラウスの深い味わいを出してしっかりと鳴るものなのだなーと感心、そして忘れちゃいけないバイエルンのアンサンブル歌手の実力。

中村さんをはじめ、ダメラウ、ヒュメ、ボルチェフ、レス等、劇場のアンサンブル歌手さんたちは皆ソリストとしても活躍するような実力者揃い。
女性陣の重唱は美しく、コメディ担当の男性陣の歌と演技の掛け合いは絶妙・・・かなり完成度が高く、ソリストの出来が今ひとつだと脇の彼等の方が目だってしまうような・・・・。

そのソリスト達・・・・
ピエチョンカ、クート、スミスは納得といえば納得の出来。
ただ実はこの3人他の役で過去に聴いたことがあって、その時の方がより役柄に合っていた、あるいは好調だったか?という気がしないでもなく、ちょっと微妙。
ちなみにそれぞれ聴いたことのある役はピエチョンカはバラの元帥夫人、クートは「ルクレチア・ボルジア」のオルシーニ、スミスはジークムント。

クートについてはこの作曲家の役でも、熱い思いや苛立ちなど、大変好演していたと思います。

ピエチョンカは定評のある元帥夫人の方が生き生きとしていたというのが、素直な感想。
でもこのアリアドネという役でももちろん決して非があるわけではなく、美しい発声で聴かせてくれました。

ただスミスはオケの厚い「ワルキューレ」で聴いた時のほうが声を響かせていたという印象が・・・
今回は鳴らしたといえども編成数の少ないオケなのに、声量がいっぱいいっぱいで余裕が感じられなかったのはやはり調子のせいかもしれません。

ツェルビネッタのファリーもピエチョンカと同じバラの公演でゾフィーを演じていました。
その時の印象は今ひとつ・・・・
今回もまたまたちょいと今ひとつ・・・・
声そのものに力がないというか、厚みが感じられないというか・・・
それが軽やかなコロラトゥーラで良いという意見もありそうですが・・・
でも演技では180度開脚状態で持ち上げられながらの歌唱・・・・体操選手なみでお見事!
本場のプレミエではダムラウが歌っているのですが、ダムラウではこんな演技はなかったでしょうね。
でも歌はダムラウで聴きたい・・・というのが本音。
もちろん子供のようなタダのないものねだりですヨ~~~~ン。

ガントナーは文句なし。

演出が「ローエングリン」と同様、開演前から舞台で演技が始まっているのですが、考えてみると本場で観たロイ演出の「ルクレチア・ボルジア」も開演前から舞台に出演者が出てきてました。
バイエルンでは演出家が違ってもこの手の演出が好きなようです。

カーセンの演出はオケのメンバーも出演者といった扱いで作曲家のクートがナガノに楽譜を渡したり・・・ひとひねりあっても不自然さはなく、観客席も舞台の一部かのような照明の効果も一興でした。

ということで満足な公演ではありましたが、プレミエでツェルビネッタをダムラウが歌ったということをなまじ知ってるだけに、贅沢病がちょこっと顔を出した公演でもありました。


ローエングリン・・・バイエルン国立歌劇場来日公演・・・NHKホール・・・2011/9/25 [オペラ]

指揮:ケント・ナガノ
演出:リチャード・ジョーンズ

ハインリッヒ王:クリスティン・ジークムントソン
ローエングリン:ヨハン・ボータ
エルザ・フォン・ブラバント:エミリー・マギー
フリードリヒ・フォン・テルラムント伯爵:エフゲニー・ニキーチン
オルトルート:ワルトラウト・マイヤー
王の伝令:マーティン・ガントナー

バイエルン国立管弦楽団/バイエルン国立歌劇場合唱団


バイエルンはグルベローヴァの活躍の本拠地といっても良いところで、[猫]にとっては比較的馴染みのある劇場です。

今回の来日公演は「ロベルト・デヴェリュー」は本場で観ているので、他の2公演のみ鑑賞。

今まで何回か本場で聴いたバイエルンのオケは、派手さはないものの切れ味があり、常に整然としながらも流麗、安定感抜群という印象があります。
今まで一度として違和感を覚えたことはなく、いつも安心して音楽に浸れる満足感の高いオケです。

ケント・ナガノで聴いたのは突拍子もない演出のドンジョだけですが、必要最小限にアクセントを抑えた演奏は上品かつ痛快ともいえる心地よさ、歌手全員にもしっかり指示が行き渡り、皆同じ大きさのドングリ状態。
ケント・ナガノの指示が隅々まで行き届いていること、その指示にピッタリと合わせることのできるオケと歌手。
実に小気味良い公演でした。
他の指揮者であっても反応が素晴らしく、なんら不安を感じることなく堅実に仕事をするオケはケント・ナガノが作り上げてきたものでしょう。

今回の来日公演では100名近くの団員が来日拒否をしたということが報道で話題になっていましたが、それよりも「ローエングリン」の会場がNHKホールということの方が[猫]が抱いた懸念材料でした。
本場の音響空間とは全く異なります。
本場で聴くほどのキッチリ感は乏しかったのはいたしかたなし・・・・
しかし、それはほとんど問題なく、安心して音楽空間に浸ることができました。

ケント・ナガノ指揮の演奏は大袈裟な表現はありません。
余分な贅肉はなし、しかし骨太な「ローエングリン」で満足感の高い演奏でした。

演出についてはほとんど無視して鑑賞してましたが、セットの前に壁が降りて舞台前方を使っての展開になると、共産主義的な雰囲気を漂わせ、東西に分かれていた歴史を暗示しているようにも思えました。
休憩が35分と長いのですが、10分前から幕が開き、出演者達が始まる前から演技をしているのはなかなかおもしろい趣向です。

尚、2階建てセットにもかかわらず、大柄なボータが出演することなったことで、来日前にブログ仲間と以下のようなクイズをしてました。

1.セットは2階建てのままだが、ボータは2階に行かない
2.セットが平屋建てに変更される
3.ボータが2階へ行ったがために2階の床がぬけてボタッと落ちる
4.ボータが階段でボタっと転げ落ちる。
5・意外にも1階と2階を問題なく行き来する。

[猫]は2番と予想してましたが、見事にハズレ。。。
答えは5番、セットを補強したかも?です。
でも2階にいったのは1度だけでした。
プレミエ公演出演のカウフマンはベビーベッドを2階から一階に持ってきて火をつけたとのことですが、ベビーベッドは一階の奥に置かれ、手前に持ってきて火をつける演出に変更。
やはりボータに負担のかかる演技は避けたのでしょう。
というか2階から物を運ぶのは足元がお腹で見えないので無理!
ボータが家の中を歩くとギシギシ音がしたりするほか、演技についても突っ込みどころが随所に・・・・
テルラムントとの決闘の場面、ボータは緩慢に剣をかまえてポーズを取るだけ、その剣に磁石で引き付けられるようにニキーチンがピョコピョコ飛びつく^^;
2幕では幕が開く前からボータが舞台で何か作業をしていたのですが、やがてゴロリとトドのように横たわり、舞台はそのまま進行^^;

そんなこんなも問題なし!
ボータに演技など最初から期待してないし・・・
でも登場した時からその姿は大きさからしてタダモノじゃない!
ガリバーとまではいきませんが、別世界からきた人です!
ローエングリンにピッタリじゃありませんか!
歌声は文句なくカッコイイ!
ただ重箱の隅をつつかせてもらって・・・唯一気になる些細なことを挙げると・・・
名乗りの歌の冒頭部、語尾の子音が強いような・・・?

マギーはチューリッヒで「西部の娘」で聴いたことがあります。
ミニーでは役に入りきった熱い歌唱で魅了してましたが、そのときほど声が響いてきませんでした。
劇場の大きさの違いによるものかとも思えましたが、3幕では響いてきたので、緊張があったか?調子のせいか?
特に非があるというわけではないのですが・・・
マイヤーさまの声が良く響きわたるせいで割をくったのかもしれません。

近年は好不調の波があるということを耳にするマイヤーさまですが、[猫]が聴く時はいつも好調[手(チョキ)]
ゾクっとする悪女ぶり、やはり格が違います。

テルラムントのニキーチンも実力を発揮してくれて良かったです。
ただ声が若いことはいたしかたなく・・・
オルトルートがマイヤーさまならテルラムントはやはりシュトルックマン・・・・・
なんで歯を抜くかなー・・・・・・・・・

伝令役のガントナーが淡々と良い声を響かせて妙に存在感があり、
王のジークムントソンは年齢的にもちょうど良い味わいがありました。

合唱が1幕では舞台奥の上方で歌うことが多かったせいか控えめにしか響いてきませんでしたが、後半は迫力が出てきました。
しかし少々緩い・・・・
メンバーの中に日本人らしくみえる人が結構いて、その為か?ホールの音響のせいか?
でもそれもマイナス要因ではなし。

カーテンコールは大ブラヴィー!
特にマイヤーさまとボータには盛大な賞賛が送られていました。

尚、NHKホールに入ると吹き抜けのホールの2階で4人のラッパ隊が演奏して観客をお出迎え。
皆お揃いの制服を身につけ、七三分けの赤毛のカツラを被ってます。
「ローエングリン」の世界へようこそ、といったなかなか粋な趣向でした。

清教徒・・・ボローニャ歌劇場来日公演・・・東京文化会館・・・2011/9/24 [オペラ]

指揮 ミケーレ・マリオッティ
演出 ジョヴァンナ・マレスタ

出演 アントニーノ・シラグーザ、デジレ・ランカトーレ、ニコラ・ウリヴィリエーリ、
ルカ・サルシ

二日続けてオペラ鑑賞すると、印象が飛んでしまってもったいないと以前も思ったことはありましたが、来日公演ラッシュで今回も次の日に「ローエングリン」を聴いてしまったがため、吹っ飛んでしまったような・・・・。

大編成のバイエルンのオケに比べると演目の違いから当然編成が少ないオケですが、考えてみるとボローニャは3演目ともオケの編成数も合唱もバイエルンに比べたら少ない人数ですむはず・・・・
劇場の格という面でもボローニャのチケット代は高すぎ・・・
総統閣下のお怒りもごもっとも、ごもっとも・・・ではありませんか?

清教徒を実演で聴いたのは昨年1月にウィーングルベローヴァが出演した公演だけ・・・・。
比べたりするのはナンセンスなのは百も二百も三百も・・・ガッテン承知・・・しかしデータとして残ってしまっているのは消去不能。

今回はさまざまな要因によって微妙な違和感を覚えることがしばしばあり、集中がとぎれがちになってしまったというところでした。

マリオッティ指揮の演奏はカルメンの時と打って変わって、くっきりと陰影が浮き彫りにされてました。
それぞれの役でアリアをゆっくりと歌わせ、場面ごとの印象を深くさせてるのですが、そのゆっくり感が歌手と息が合っていないように思える時があり、少々わざとらしく、ちょっとした間合いに違和感を感じる時も・・・。
しかし単に自分のすり込みから抜け出せなかったということでしょう。

冒頭で長いアリアがあるリッカルド役のサルシは代役ということもあるかもしれませんが、そのゆっくりと歌わされる場面で少々オケと合ってなかったよう、声もこの役に合っているかは疑問に思えました。
でもしっかりとした歌いっぷりで、特に2幕でのジョルジョ役のウリヴィリエーリとの2重唱は聴き応えがあり、幕が降りはじめると演奏が続いているにもかかわらず、拍手のフライング。。。。
今回はこの場面だけでしたが・・・興ざめするのでおやめください・・・フライングした皆様・・・どーかひとつ!お願いしますよ!

この2幕は言わずと知れた狂乱の場があり、「清教徒」の最大の聴かせどころ。
ランカトーレは頑張ってましたが、声質が時々変わってしまって、ここでもやや違和感が・・・
特に低音部の声がなんとも不思議な声になってしまいます。
それでも熱唱、熱演にはブラヴァーでした。

ジョルジョ役のウリヴィエーリが品格のある声で好演して、一番安心して聴いていられました。

シラグーザは今まで何回か聴いたことはありますが、優しさと力強さの両方を兼ね備えた歌声で、ガッツのある人、頼もしい人という印象があります。
この公演の前の藤原歌劇団公演では今ひとつ調子よくないような噂を耳にしていましたが・・・
1幕ではそれほど調子悪くなく、正義感溢れ、凛とした印象で心地よい声を響かせていました。
いつもの力強さはありませんでしたが、役柄によるものにも思え、代役としてこの一公演だけの登場という不安も感じさせず、演出にも溶け込んでました。
しかし3幕途中から失速・・・・
声が伸ばしきれなかったり、最後の高音も力なく・・・。
狂乱の場に続き、もうひとつの聴かせどころも。。。。。。
やはり体調が万全でなかったのでしょう。
でもアルトゥーロは難役です。
代役を引き受けてくれたことに感謝!です。

演出は可もなく不可もなく。

以上、
個人的にはボローニャ歌劇場の3公演の中ではリチートラの魂が共に合った「エルナーニ」が一番!でした。


エルナーニ・・・ボローニャ歌劇場来日公演・・・東京文化会館・・・2011/9/18 [オペラ]

演出 ベッペ・デ・トマージ
指揮 レナート・パルンボ

出演 ロベルト・アロニカ、ディミトラ・テオドッシュウ、ロベルト・フロンターリ、フェルッチョ・フルラネット

カルメン」が始まる前にエルナーニ総裁から、リチートラ氏への哀悼の意と震災からの復興を願うスピーチがありましたが、この日も同様のスピーチがあり、特にリチートラ氏の魂も私達と共にあるという言葉は心にしみました。

そしてその言葉どおり、オケの演奏にも歌手一人一人の歌にも、リチートラ氏の魂が一緒にいるのを感じた公演となりました。

演奏はオケの音色の柔らかさはそのままに、パルンボのタクトからメリハリのあるヴェルディらしい力強さが生まれてました。
歌手との息も合って公演の要であったのは間違いないでしょう。

演出はそこそこ見栄えのするセットと豪華な衣装の学芸会^^;
演技もほとんどないに等しく、各幕の最初の3分だけ見ていればあとは目をつぶっていても想像できるというところ、ベタすぎてないに等しい演出ですが・・・まぁ演出はどうでも良し。

男性歌手陣の歌の饗宴こそがこの公演の魅力、それぞれの役柄に合った歌声で聴き応え充分でした。

代役のアロニカは一幕一場こそ固い印象でしたが、山賊の頭たる荒々しさと貴族の誇りたる誠実さを力強く伸びのある声で表現してくれました。

カルロ役のフロンターリは一幕二場ではエルヴィーラを愛する粗野な一人の普通の男、特に強い印象は持たなかったのですが、3幕では堂々たる王の風格をかもし出し、しっかりとこの役の存在感を表現して一歩も引けを取りません。

そして言わずもがなフルラネット!
舞台にその姿が登場しただけで舞台がひきしまります。
年齢的にもこの役にピッタリでフィリッポ役だけでなく、このシルヴァ役でも右にでる人はいないでしょう。
深く響く味わいのある声が久しぶりに聴けて満足でした。

この3人のバランスが素晴らしかったため割をくったように思えたのが、紅一点のテオドッシュウ。
ちょっと控えめで絶好調とはいえないかも?と思えてしまいましたが、それだけ男性陣の歌声が迫力があったということでしょう。

コーラスと重なった重唱の迫力もこれぞ本場イタリアのヴェルディ!
と思いつつ・・・・

でもこれで[猫]のヴェルディ苦手が直ったかというと???
やっぱりブンッチャッチャッには時々意識が・・・・ボー。。。
目つぶっていても変化ない演出だったし・・・^^;
「エルナーニ」という作品は初期のヴェルディのひとつだそうですが、3時間半の間に3回も休憩が入ることもあって、全体の作品の構成自体が散漫な印象を受けてしまいました。
作品のせいにしてますが、もちろん自分自身が散漫な性格だということもあります・・・ハイ。

改めて思ったこと・・・
本場イタリアで今までヴェルディを聴いたことがないのにヴェルディ苦手などと言っていること自体間違っておる!
スカラに二回行ってワグナーしか聴いてないというのはいかがなものか!
今まで聴いたヴェルディではドレスデンの「リゴレット」がダントツで素晴らしかったわけですが、本場イタリアのヴェルディとは一線を画すものでしょう。
やはりヴェルディは本場イタリアの歌劇場で聴きたいものです。

カルメン・・・ボローニャ歌劇場来日公演・・・文化会館・・・2011/9/16 [オペラ]

演出 アンドレイ・ジャガルス
指揮 ミケーレ・マリオッティ

出演 マルセロ・アルバレス、ニーノ・スルグラーゼ、ヴァレンティーナ・コッラデッティ、カイル・ケテルセン

総統閣下も相当お怒りのボローニャ来日公演→こちら

[猫]はメトで来なかったカウフマンが今回は来ると思っていたアンポンタンです。
おまけに・・・
「ドン・ホセはアルバレス様のほうがよかったわよね。」
[猫]「ウン!」
ということで観にいかないはずだった「カルメン」を買うハメになり、主催者側の思うツボにはまった一人です。

総統閣下のお怒りもフローレスのキャンセルが原因であり、フローレスがいかに唯一無二の存在であるかということでしょうが、公演が始まってしまえば、それなりに楽しめるというものです。


さて寄せ集めのようになってしまった「カルメン」、歌手とオケが息が合わない部分がなかったわけではありません。
でも公演の善し悪しはキャストだけではなく、全体がいかにまとまっているか、コンセプトが統一されているかにあると思っているのですが、その点バラバラ感はなく、まとまっていたと思います。

ただやはりなんといってもアルバレス様!
いままで「カルメン」はストーカー男に気をつけろ!という女子に対する注意を呼びかける作品で、ホセは本当にただの単なるストーカー以外のなにものでもないと思っていたのですが・・・^^;
マルちゃんのホセにはその純粋さと直向さに初めて同情と哀れみを覚えました。
歌が良かったのはもちろんのこと、役にはいりこんでの最後のシーンは恐すぎます・・・・。
でも殺してしまった後の絶望感・・・ジーンとさせてくれました。
メトに引き続きボローニャでも救世主、マルちゃんがいなかったらまとまってはいても何か物足りない公演になっていたかもしれません。

序曲からオケの音が控えめで、あれ?また耳がおかしくなった?と思ったのですが、そこはやはりイタリアのオケなのでしょう。
音が柔らかく優しく、柔軟な演奏で良いのですが、もう少し鳴らしても良いのではないかと思うことがしばしば・・・・。
カーテンコールで一人指揮者にブーをしていた人がいましたが、そういった点ではないかと?

ミカエラ役のコッラデッティが声に力があり、伸びやかに響かせてました。
少々高音で力任せになっていた時もありましたが、大柄な体型もなんとも田舎から出てきた純粋な雰囲気があって良かったです。

エスカミーリョ役のケテルセンがオケと合わないように思えた場面もありましたが、大きな非ではありませんでした。
ボクサーという設定の演出でマタドールのような格好よさはないのですが、これはこれで存在感のある味わいをだしてたと思います。

タイトル・ロールのスルグラーゼは魅力的な容姿でカルメンになりきった演技と歌い方が素晴らしい。
ただコッラデッティが声自体に力があったのに比べると、声に美しさはあっても今ひとつコンパクトにまとまりすぎているというか、迫力不足というところ・・・。
公演中のブラヴァーはありませんでしたが、終演後は全体を通して好演したことにブラヴァーが飛び交ってました。

演出は1990年代のキューバですが、「カルメン」の雰囲気はしっかり保たれ、現代に置き換えるとしたらこういった共産圏の雰囲気が、娯楽に乏しい社会からストーカーが生まれる背景として説得力あるように思えました。

なんといっても昔は娯楽が少なかったから・・・・女なんて星の数ほどいるってーのに・・
ホセみたいなストーカー男がウジョウジョいたに違いない・・・コワイコワイ・・・。
カルメンはまーったく悪くないですよねー。

リチートラ氏の訃報 [雑感]

8月27日にスクーターを運転中に事故を起こして以来、昏睡状態が続いていたリチートラ氏ですが、
5日、シチリア島カターニアの病院でお亡くなりになったそうです。(享年43歳)

多くの人々の祈り虚しく・・・
オペラ界は貴重な才能を失ってしまいました。

ご冥福をお祈りします。

ボローニャ歌劇場来日公演・出演者変更 [雑感]

かなり凹んだフローレス降板の発表以来、びわ湖公演まで1週間をきって、ようやく代役の発表がありました。
こちら

◆「清教徒」 アルトゥーロ役
 セルソ・アルベロ (9月11日びわ湖、9月17日、9月21日)
 アントニーノ・シラグーザ(9月24日)

◆「エルナーニ」 エルナーニ役 ロベルト・アロニカ

◆「カルメン」 エスカミーリョ役 パウロ・ショット→カイル・ケテルセン

◆「カルメン」 ミカエラ役 アレッサンドラ・マリアネッリ→ヴァレンティーナ・コッラデッティ

パウロ・ショットは「声帯に発声障害が生じている」との医師の診断により、アレッサンドラ・マリアネッリは「熱をともなう重症の咽頭炎・扁桃炎で15日間の治療と完全な休養が必要」との医師の判断により、キャンセルだそうです。

ハイハイ・・・・と
ど~~~~~~ぞ!く~~~~れぐれもお大事に!


フローレス降板・・・ [雑感]

本日2日、公式サイトに発表になりました。→こちら

「声帯を支える軟骨付近に充血と肥大。3週間の声帯の休養が必要」との医者の診断により出演できない・・・
とのことです。

ボローニャ歌劇場の公演は3演目とも主役のテノールが降板となってしまいました。
トリプル・パンチ[パンチ][パンチ][パンチ]

痛いです[たらーっ(汗)]

リチートラ氏は未だ意識不明の昏睡状態が続いているようです。
回復を心からお祈りします。




危篤!?リチートラ! [雑感]

ボローニャ歌劇場日本公演「エルナーニ」出演予定のリチートラ氏が27日交通事故で頭部及び胸部に外傷。
重体だそうです。
http://palermo.repubblica.it/cronaca/2011/08/28/news/grave_il_tenore_licitra_ferito_in_un_incidente-20963515/?ref=HREC1-7

http://www.ilmattino.it/articolo.php?id=161070

http://www3.lastampa.it/cronache/sezioni/articolo/lstp/417208/

頑張って!リチートラ!

神様!リチートラをお守りください!
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